カテゴリー「訃報」の7件の記事

2015年8月 6日 (木)

つつしんでお悔やみ申し上げます。ありがとうございました。

作家の阿川弘之さん死去

http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015080501001702.html

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2012年10月23日 (火)

李玖さん 食卓の記憶(再録 2005年7月17日記)

李玖さん 食卓の記憶 (2005年7月17日記の再掲です。)

朝鮮・李王家のただ一人の直系である李玖氏が急逝された。
東京の某ホテルに滞在中に、心臓麻痺であった。
滞在中といっても、半ば暮らしているようなもので、おそらくはその時もお一人ではなかったかと思う。

李玖氏とは途切れ途切れではあるが長いおつきあいで、氏が生まれ育った“自宅”の思い出を聞いたのも、今や、むしろ寂しい記憶になった。
その“自宅”とは、赤坂プリンスホテル旧館のことである。
あの堂々たる洋館は、李王朝最後の王位継承者・李垠氏と李方子(まさこ)ご夫妻の新居であったのだ。それがなぜプリンスホテルになったのかは、猪瀬直樹氏の著書に詳しい。
李玖氏はそこで生まれ育った。
「皇族扱い」であった李家の食卓は、洋食であったという。
明治以後、日本の皇族の食卓はなぜか洋食が定番であったのだ。

日朝の王家の混血であった李玖氏は、そのゆえに複雑な事情に振り回された。
日本で生まれて学習院に学ぶが、軋轢に耐えきれず、若くしてアメリカに留学する。
最終的にはマサチューセッツ工科大学の建築科を卒業して、アメリカを中心にビジネスに携わった。
戦後の韓国には帰れない年月が長かったが、日本にも居場所はなく、アメリカに留学したものだ。
そんな経歴のためもあって、氏は韓国語(朝鮮語)はまったく不得手で、日本語は話すだけで読み書きは不得手、英語がまるで母国語のようになっていた。
そして、それは「食」の好みにも象徴的に表れていた。
氏の行きつけの店が都内にいくつかあったのだが、なかでもお気に入りは銀座のパスタ屋であった。
銀座東急ホテルに滞在している時は、すぐ近くのこの店に気軽に寄っていたようだ。
その頃、私もオフィスが東銀座にあって、氏に招かれてご馳走になるのは、水と粉にこだわったパスタばかりであった。
何度か食事をご一緒したが、いつもパスタと決まっていて、和食も韓国料理も一度もなかった。
パスタは、李玖氏にとっては「孤立のアイデンティティー」でもあったのかも知れない。

心よりお悔やみ申し上げます。
 
(2005年7月17日 戸矢記)
 
http://www.kangaerupan.com/contents09/page003.shtml

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2009年10月18日 (日)

追悼 加藤和彦さん

私がある博覧会の広報ディレクターであった時に、加藤さんが音楽プロデューサーとして参画。頻繁にお目にかかる機会を持てたのは幸運でした。なかでも、羽田から隣り合わせの座席になって、問われるままに話し込んだ空の上での思い出はかけがえのないものです。私が生まれて初めて買ったレコードが『帰ってきた酔っぱらい』だったと言ったら笑っていたその顔が、今もそのまま思い浮かびます。
──ただただ無念でなりません。

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2008年8月 3日 (日)

追悼 赤塚不二夫さん

漫画家の赤塚不二夫さんが昨日亡くなられた。享年72歳だそうだが、すでに6~7年前から意識不明の状態であった。ほとんど“自殺”に近いものだと私は思っている。上野の美術館で赤塚展がおこなわれたときも、酒を手放さず、色紙を描くサインペンを持つ手が揺れて描線も字も定まらなかった。

私が初めてその姿を見たのは、下落合駅前の喫茶店であった。
もう今から30年以上前のことだ。
当時私は中落合に住んでいて、その喫茶店でアルバイトをしていた。
フジオプロの拠点になっていた「ひとみマンション」はそこから歩いて4~5分で、中井駅との間にあった。
私が住んでいたアパートも同じ方向なので、フジオプロの人たちとはしばしば顔を合わせた。
中井の居酒屋でも時々出くわすことがあったが、どんなときでも赤塚さんは常に酒が入っていたようだ。
「ギャグは命懸け」なんだと、その頃にはわからなかったが、なにやら破滅的なものを感じたのを思い出す。

それからだいぶ経って、四谷三丁目のある店で再会した時には、自力で立てないほど酔っていて、それでもあおるように酒を飲んでいた。周りにとめる人もいなかったが、おそらく誰にもとめられなかったに違いない。行くところまで行かないととまらないのだと、悲壮感のようなものを感じた。
倒れてのち、止む。──そんな言葉が浮かびます。
心よりお悔やみ申し上げます。

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2008年7月30日 (水)

追悼 神屋二郎大人

初めてお目にかかったのは三十余年前、青山の大東会館であった。思えば豪華な顔ぶれで、影山塾長、長谷川塾監、鈴木事務長、そして神屋先輩にと次々に初めてご挨拶申し上げたのが本当に昨日のことのように思い出される。
東郷神社でのご長女の結婚式には、新郎側友人として参列させていただいた。いつもにこやかなかたであったが、その日はひときわ晴れやかな笑顔であったのを鮮明に記憶している。
そのご長女と、小石川で宮司を務めるご長男と、合わせて九人の孫に囲まれるという近年では珍しい大家族となったのは、まことに慶賀すべきことで、祖先の宗湛の血脈が再び栄えようとしている生命の力を思わせる。
私の思い起こす神屋さんは、すべて笑顔だ。電話で話していても、手紙の手跡を辿っていても、その向こうに常に涼やかな笑顔がある。戦前戦後の激動の中にあっても、きっと笑顔であったのだろうと想像するにかたくない。
闘病は過酷なものであったと仄聞するが、それでもきっと最後は笑顔での大往生であったと私は信じている。
心より、お悔やみ申し上げます。

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2008年7月 8日 (火)

恩師 小野和輝先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます

大学の恩師である小野和輝先生が急逝されたとのご連絡をいただき、驚いております。祭式の授業で二年間ご指導たまわりましたことに感謝いたしておりますことはもちろんですが、卒業後も格別の御はからいをたまわりました。とくに、私が初めての著書『ザ・神道』を上梓した折りには、広告でトラブルが起きましたが、懇切にご指導いただきましたこと、今もありがたく感謝いたしております。祭式教室の裏側の研究室へ伺ったときの、装束や祭具の独特の匂いが今もよみがえります。心より、お悔やみ申し上げます。

---記---(※私宛にお送りいただいたものを転記させていただきました。)

前國學院大學教授 ・前本庁祭式講師 小野和輝先生が、7月7日午前、ご逝去されました。
取り急ぎ、葬儀の日程をお知らせします。

日時・  通夜祭 7月11日(金)午後6時~
      葬場祭 7月12日(土)午前10時~

場所・  セレモニーホール神奈川
        横浜市神奈川区新町6-1
        電話 045-453-7700
        最寄駅 京急 神奈川新町駅
              JR  東神奈川駅
喪主  小野光枝様 (奥様)

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2007年12月14日 (金)

追悼・芳賀康行君

旧友の突然の訃報に愕然としています。彼のほうが年下でしたが大学の同期で、駒込界隈で飲み歩いたのを思い出します。彼がアルバイトをしていた駒込の居酒屋へもよく行きましたが、私はいまだにこの界隈をうろうろしていて、いつかは出羽の宿坊に訪ねようと思っていたのに、適わぬこととなってしまいました。残念です。

滝原宮へ参詣した折りに、神を見た、と言っていたのを今なお鮮烈に思い出します。

心より、お悔やみ申し上げます。

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