カテゴリー「ショート・ショート」の22件の記事

2014年9月17日 (水)

ショート・ストーリー 「私たちの望むものは…」

 

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 ある日、新宿駅前のロータリーにいつも寝ている“予言者”というあだ名の浮浪者が、突然立ち上がって、おごそかに叫んだ。

「見よ、ビルが森に変わるぞ! 新宿は、いま、古代の姿に還ろうとしているのだ」

 目撃した人によれば、その姿はさながら映画でよく見るイエス・キリストを彷彿させるかのように神々しかったという。まあ、傍へ寄ると、いささか垢まみれで臭かったが-------

 しかしその時は、周囲のほんの数人が振り向いたにすぎない。大部分の人は気にも止めずに通り過ぎて行った。ただ、否が応でも、その数分後にはほとんどすべての人が気づかされることになるのだが。

 後に繰り返し繰り返しテレビで放映されたのですっかりお馴染みになったが、NHKの定点カメラがとらえていた映像は、さながらコンピュータ・グラフィックスのシミュレーションのようである。あの西新宿の高層ビル群が、足元からゆっくりと樹木に変貌して行くのだ! なんとダイナミックでSF的な映像だろう。しかも、これは、現実なのだ。

 そして、巨大な森が、新宿に誕生した。まるでいつ恐竜が顔を出してもおかしくないような、古代さながらの森だ。林立する高層ビル群が、文字通り本物の林、いや森になったのだ。

 変貌直後から行なわれていた学術調査によれば、変貌後の樹木と変貌前のビルとの連関は、断面の面積がほぼ同じであることと、高さがほぼ同じであることの2点である。あとは、まったく似ても似つかない。いずれも紛れもない本物の樹木になってしまった。ちなみに京王プラザホテルはケヤキに、野村ビルはヒノキに、都庁はスギに、その他はなぜかすべてモミノキになっていた。山本周五郎の名作『樅の木は残った』を思い出して、何か意味があるに違いないと考えた人もいたようだが、もちろんなんの関係もなかった。

 いずれにしてもその大変貌は真昼のことであったので、ビルの中には舛添都知事をはじめ多くの人々が働いていた。しかしとにかく、すべては木になってしまったのだ。彼らが果たしてどうなったのか、誰にもわからない。無事生きているとは、とても思えない。これらの人々は、さしずめ殉職ということになるのだろう。

 殉職した人たちには気の毒だが、それらの木々から発散される大量のオゾンで、新宿は他のどこよりも空気がきれいな町になった。しかも木々の根本には野苺や茸が無尽蔵にはえている。さまざまな野鳥もたくさん集まって来る。これは、もしかすると悲劇ではなく、歓迎すべき慶事なのではないだろうか。なにしろ西新宿はこれまでと正反対の“名所”になったのだ。

「も~りへ~行き~ましょ~う、む~すめ~さん、ハハッハ---------

 というノーテンキな歌が一部で流行ったが、すぐに廃れてしまった。

 全国の“森さん”たちがパック・ツアーを組んで続々と“新宿の森”詣でにやって来るという現象も起きた。

「私たちにとって、ここは第二の故郷です」

「森を大切にしようという啓示だと思う」

「生命を育むのは、海と森なのです」

 おおぜいの森さんは異口同音にこう言った。

 ところが政府は“新宿の森”へ入ることをある日突然禁止したのだ。

 ひととおり調査が行なわれて現状は把握できたが、原因がわからないから危険、というのが公式の発表だ。

 ちなみに、池袋ではサンシャインだけがたった一本の巨木となって、ていていとそびえているが、こちらは周囲に何もないので、すぐ傍まで近づける。汐留は少し遅れて“林”になった。

 実はニューヨークでも、同じ頃摩天楼が森になった。そればかりでなく世界中のいわゆる高層ビルという呼び名に相応しいビルは、すべて巨木に変身したらしい。どうやらある一定の高さを超えたものだけが変身したらしいと、国連の学術調査団が発表した。平壌でもたった一本、北京では数本、上海や香港やシンガポールではやはり森状態に、いずれも不思議な威厳を持つ巨木となっているらしい。摩天楼には威圧感があったが、これらの巨木にはある種の神々しい威厳が備わっていたのだ。

 そんな中で、いつ頃からか、まことしやかに「バベルの塔」伝説が巷間に広まって、すぐにでも地球の最後がやって来るかのように言われたが、別にパニックにはならなかった。実際のところ、今回の事件は近親者を失った一部の人を除いて、ほとんどの一般の人々には何の被害もなかったからだ。

 かつてバベルの塔は神の怒りに触れて倒壊したというが、今度は森にすることが、神の意志のようだ。しかしそれが神の怒りなのか、気まぐれのプレゼントなのか誰にもわからない。テレビ、新聞を始めとするマスコミでは連日“有識者”たちに宗教家までが加わってあれこれ論じて、文字通り百家争鳴となったが、結局混迷を増大させているに過ぎない。果たして、この出来事は、何が原因で起きたのか、もしも神の意志であるならば、何を伝えようとしているのか、だれにも答えが出せないようだ。

 そんな中で、一番最初に今回の事件を目撃した新宿駅前の浮浪者が、テレビ局のインタビューに答えて言った。

「神は我々の望むものを与えようとしている。最も多くの人々が同時に無心で望んだものが、必ずや与えられるであろう」

 しかしその放送を見た者で、浮浪者の言葉を信じたのは子ども達だけであった。

 --------そしてその直後、新宿の森にゴジラが出現したというニュースと、ニューヨークの森にキング・コングが出現したというニュースが、ほぼ同時に飛び込んできた。子ども達の望んだものは……。

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2008年5月13日 (火)

16夜ショート・ショート 「海底に謎の街並み」

海底に謎の街並み

海の中に街並みがあるという。

場末の居酒屋で、そんな話を小耳にはさんだ。

隣の酔っぱらいが亭主に向かって喚いていたのだ。

ここは記者仲間ばかりが集まる店とは違って、ごく普通のカタギ衆がくつろいで呑む店だ。

「――ほんとだってばさ。海ん中に、街があんのよ、街が。オレ、見たの。はっきし。浦安沖で蛸釣っててね」

ダムに水没した村を船底のガラス窓から見物したという話なら珍しくない。

しかし場所が東京湾で、見えたのが街並みということになると、これはとてつもない話になる。

いつもなら酔っぱらいのヨタ話など聞き流すのだが、この話にはフックするものがあった。ブンヤのカンだ。

「――冗談だったらもっと気の効いたことを言うって!」

「あんた、しつこいねえ」

「ほんとなんだってばさあ」

私は、少なくともこれを信じた。

というのも、近頃東京湾ではヘドロの浚渫が猛烈な勢いでおこなわれている。

それにともなって、

「ようやく政府も環境問題に本腰」

といった新聞報道も日常的に出るようになった。

むろん私の仲間達がこの“好意的”報道の片棒を担いでいる。

しかし私自身は、当初からこの現象をストレートには受け止めていない。

なにか裏がある。きっと、ある。

そう簡単に日本国政府の体質が変わるはずはないのだ。

翌日、さっそく私は東京湾周辺の釣り船屋の聞き込みをおこなった。

客は一過性だが、各船長は毎日のことだ。

事実ならば、これ以上の証人はない。

そして噂は、やはりかなりの信憑性を持っていた。

無作為に三人のヒアリングをおこなっただけなのだが、答えは異口同音。

三件目のオヤジはこう言った。

「不気味だよね。でも何度も見てるよ。雨が降らなければいつでも見れるね、最近は」

二ヶ月程前までは妙に海が濁っていて海底はほとんど見えなかったらしく、さながら忽然と出現したような感じだという。

しかも、その界隈は特にヘドロ浚渫の船が多いらしい。

「見てみるかい。明日はなんでか出船禁止なんて漁協から通達があったけど、つもりがあるなら乗ったらいいよ」

もちろん私は二つ返事で承諾した。客は私一人である。

翌朝船で現場に向かう途次、すでに私の頭の中には記事の構想が出来上がっていた。

「東京湾に沈む幻の古代都市発見さる!」

朝刊の一面に踊るスクープの活字が眼に浮かぶ。

そう、私の結論はこれなのだ。

東京湾の底から古代の幻の年が出現したのではないかと、私は密かに推定している。だとしたら、これはとてつもないビッグ・ニュースだ。

海は、いつもその底に失われた謎を秘めている。

アトランティスもムーも、お馴染みの謎である。

「海底にアトランティスの古代都市を見た」という記事も、過去の新聞をめくるとときたま目にする。

もっともいまだに発見されてはいないようだが。

それならば、東京湾の底にも古代都市があっっていい。

三年前に魚網に古代の遺物がかかったことがある。

これまでの考古学が覆されるかもしれないくらい古いものだとはその時点で報道されたが、それ以上何も明らかにならないまま、いつのまにかニュースから消えてしまった。

ヘドロの浚渫が頻繁におこなわれるようになったのも、その後しばらく経ってからだ。

私はそれ以後個人的に調べてきたが、東京湾浚渫のための予算は膨大である。

これまでの慣例から考えると、異常と言ってもいい数字だ。

これらの事実を一連のものとして考えない手はないだろう。

「――だんな、そろそろ現場だよ。海ん中覗いてみたら」

私は思わず船縁に走り寄って水中眼鏡の親分のようなガラス箱で海中に目を凝らした。

「落ちるなよ!」

船長がどなる。

見える!

なるほど、確かに街並みらしきものが海底に延々と続いている。

しかも廃墟ではなく、どうも、屋根まであるようだ。

しかし――。

「ん~む、やけにやすっぽいなあ。これじゃまるで建て売りの一戸建てじゃないか。なんだか、変だぞ、これは」

海底に延々と続く建物は、いずれも二階建てで、しかもほとんどくっつき合っているというあのたたずまいそのままなのだ。

おまけに屋根は、なんと赤のスレート葺きに見える。

想像とぜんぜん違うではないか!

私は頭がこんがらがって、気分が悪くなった。

理解不能なものに対面した時特有の吐き気がする。

その時、一種異様な海鳴りがして、その瞬間海底が動いたような気がした。

水面がゆがんだのかと思った。

しかしガラス箱越しに見ているのだからそんなはずはない。

私はもう一度目を凝らしたが、今度は近づいているように見える。

いや、ずんずん近付いている。間違いない。

海底が上がってきているのだ、不可思議な街並みごと!

――と思う間もなく、強い衝撃が船全体を襲って、私たちの船は一気に空中へ持ち上げられた。

滝壺にでもいるかのような水音のすさまじい喧噪の中で、船長の叫び声がかすかに聞こえた。

船の下で“家”が一軒メリメリと潰れた。

そして私たちの周囲には、同じ形の建て売り住宅がいくつもいくつもずらりと並んだ。

私は事態を把握するのにまず自分の頭が正常であるかどうか検証しなければならなかった。――どこからかやってきた制服の集団に取り囲まれたのはその直後である。

翌日から、東京湾建て売り住宅の公募は、大々的に始まった。

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2008年5月11日 (日)

15夜ショート・ショート「エスカレーターの秘密」

エスカレーターの秘密

 少年は、エスカレーターというものをいつも不思議に思っていた。階段が次から次に現われて、そして次から次に消えていくなんて、いったいどういうことなんだろうと。
 考えあぐねた末にたどり着いたのは、床の下に階段をアッという間に作る機械があって、その先には壊す機械がある。しかも、壊した材料はすばやく、作る機械に送られて、それを繰り返す。──そういうシステムであった。
 ところがある日学校帰りに、たまたま地下鉄新お茶ノ水駅でエスカレーターの修理に出合った。そこで少年は、さっそくのぞきこんだのだが、中にはモーターがあるだけで、階段は折りたたみ式になっている。
「なあんだ、折りたたみ式かぁ」
 少年は思わず大きな声でつぶやいた。すると、修理をしていた人が振り返って、
「ホントは違うんだよ。きっとキミも考えたように、階段を作っては壊し、作っては壊ししてるのさ。でもそのことはナイショにしなくちゃいけないんだ」
「へ~え、でも、もしそうだったら、おじさんは今なにしてるの。折りたたみの修理に見えるけど」
「こうしてときどき“折りたたみ式”だってことを見せたりしないとバレちゃうだろ。だからさ」
 ──少年は一生懸命考えた。
「でも、作ったり壊したりしていることがバレちゃうと、どうしていけないの」
 すると修理士は、少し考えるような顔をしてから少年に顔を寄せてソッとささやいた。
「さっきおじさんは“キミが考えているとおりだ”って言ったけど、ホントは違うこともあるんだ。キミにだけ教えてあげるけど、実はね、床の下で階段を作ったり壊したりしているのは“機械”なんかじゃないんだ。“人間”なんだよ。人間が、1つの階段を作ったり壊したり永遠に繰り返しているのさ」
 床下で階段を作っているのは機械でなく人間だと言う。本当にそんなことがあるのだろうか。
「あるんだよ」
 その修理士はまるで少年の考えを見抜いたかのようにそう言った。
「といっても、もちろん素手じゃつくれないからね。道具は使ってるさ」
 おおぜいの人間がものすごいスピードで次から次に壊して、壊したと思ったら、また作る。その作業を延々と続けているという。考えるだけでもシンドイことだ。
「それじゃあ、この下にいる人たちのおかげで、ボクたちはエスカレーターに毎日乗れるんだね。感謝しなくちゃ」
「感謝なんかすることはないんだよ。だって、考えてごらん。折りたたみ式にすれば、なにもいちいち作ったり壊したりする必要はないんだからね」
「それじゃ、どうしてそんなことをするの?」
「“罰”さ」
「バツ?」
「そう。地上で悪いことをした罰として、永遠に完成しない仕事をさせられるんだ。ツラいぞぅ」。
 ニタッと笑った顔を見ると、犬歯がずいぶんトガッて見えた。それを見ると、少年はなぜか背筋に寒気を感じた。
「オイ、子ども相手になにやってるんだ! そろそろ片付けないと時間だぞ」
 もうひとりの修理士が声をかけた。すると、少年の相手をしていた修理士は、
「さあ、もうお帰り。冗談はこれでオシマイ。──今、おじさんの言ったことは、ぜ~んぶウソ。階段は見たとおり、折りたたみ式さ」
 なんのことはない、少年はからかわれていただけなのだ。
「さあ帰った帰った、仕事のジャマだよ」 そう言ってクルリと背中を向けた修理士のむこうに、もうひとりの修理士が帽子を取って額の汗をぬぐうのが見えた。少年がなんの気なしにそちらに目をやると、その頭には小さな突起物が2つ。それは、まるで“角(つの)”みたいな──。

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2008年5月 9日 (金)

14夜ショート・ショート 「銀座のカラス」

銀座のカラス

「近頃やけにカラスが多いなあ」
 銀座電通通りを歩きながら、一組のカップルが話していた。
「ほんと、気味が悪いわね」
「あっ、危ない!」
 その時すばやく一羽のカラスが滑空して、二人のすぐ前を歩いていた親子連れに狙いをつけたところであった。カラスは、子どもがかぶっていたアポロ・キャップのツバを跳ね上げて、またすばやく舞い上がる。──そして火が着いたような子どもの泣き声。
「──まるで、ヒッチコックの『鳥』ね。カラスが人間を襲うなんて信じられない」
「アポロ・キャップが珍しかったんだろう。好奇心の強い鳥だからね、カラスは」
 銀座にカラスが異常繁殖しているという噂は、だいぶ広まっている。実際には「繁殖」ではなく、北の丸公園小石川植物園辺りからエサをあさりに飛んで来るらしいのだが、いずれにしても「銀座」という風景にはおよそ似つかわしくない鳥である。
かつて「六本木ネズミ」というのが話題になって、これは「猫」ぐらいの大きさがあると言われたが、考えようによっては、それだけ六本木の台所は豊かだという証明だ。
 しかし、カラスはいけない。カラスはやはり、「死肉に群がる」というイメージがどうしても付きまとう。
「銀座は日本じゃないみたいね」
 カップルの女が言った。
「まったくね」男が答えた。「海外ブランドのビルばかり次々に出来て、これじゃ、まるで植民地だね」
「ふーん。カラスとなにか関係あるのかしら」
「なんで?」
「カラスは死臭をかぎつけるって言うじゃない。日本人の死臭」
「そういえば、ブランド・ショップに群がる女達はゾンビみたいだな。きみがブランド好きでなくてよかったよ」
「わたしはゾンビにはなりたく──」
 女が途中で言葉を切ったので、男は思わず女の顔を振り返った。すると、女は目を大きく見開いて、一点を見つめていた。
「あ、ああ、あれ、あれあれ、あれ、なんなのいったい。あれ!」
 女の指差す方を見ると、なんと猫よりもひとまわり大きいネズミがポリバケツのゴミをあさっているところであった。
「六本木ネズミだ! いや、こいつはもっとでかいぞ」
「こわいっ!」
 寄り添う女を抱える腕に思わず力がこもるのを、男は制御できなかった。掌は汗ばんでいるのに、背筋には寒気が走る。
「銀座のゴミの方が栄養価が高いってことなんだろうな」
 なぐさめるつもりで男はつぶやいたが、自分で自分の言葉に不吉な予感を抱いた。
 巨大なネズミに気付いたのはこの二人ばかりではなくで、あちこちで次々に悲鳴が上がっている。その悲鳴につられるかのように、走り回るネズミの数もどんどん増える。ビルの隙間や植え込みの陰から、まるで手品のように続々とわき出てくる。
「これは、なにか特別のエサを食べたんじゃないか」
「特別って?」
「わからない──」
 その時、
「クワァー!」
 という耳をつん裂くような不吉な鳴き声が辺りに響き渡って、思わず空を見上げた。すると、なんと、まるで怪鳥ラドンと見まがうような大カラスが、ソニービルの屋上から羽を広げて見下ろしていた。
「そういえば、カラスもネズミも悪食で有名なんだっけ」
 男はボンヤリと考えた。

〈了〉

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2008年5月 7日 (水)

13夜ショート・ショート 「E-mailでこんにちは!」

E-mailでこんにちは!

at:2008.1.1 10:00 AM----こんなメールが届いていた。

「きみは明治神宮を出てから山手線で日暮里へ行った。着時間は午前1時頃。行き付けの居酒屋へ行き、顔馴染みの連中と“初呑み”。2軒ハシゴをして、帰宅したのは11:00 AM。それが今。そしてきみはこのメールを見ている。よせばいいのに、冷蔵庫からエビスの缶ビールを出して、蛇足の一杯をやりながら。」
From: toya manabu, toya_manabu*@yahoo.co.jp
To: toya manabu, toya_manabu@yahoo.co.jp

 ──私宛に“私から”のメールである。
 ただ、fromのメルアドにはネームの肩に「*」が余計なだけ。
 ふざけた奴だ。おおかた先刻まで一緒に呑んでいた連中の中の誰かだろう。いつの間にかそっくりのアドレスを取得していたというわけか。
 でも、何のために。

at:2008.1.1 11:20 AM----私からのre-mail

「凝った年賀メールをありがとう。たいていのことでは動じない私も少しばかり感心。エビス・ビールの件は“いいカン”してるね。大当たり! なかなか面白い趣向。しかしさすがに眠いので、今度は眠気も吹っ飛ぶような“カン”を、よろしく!」

 ──泥のように眠り込んだ私がようやく目覚めて、ふたたびメール・チェックしたのは夜8時のことであった。

at:2008.1.1 8:00 PM----「*」からのre-mail

「きみの目覚めは6:00 PM。新年早々顔も洗わず、空腹に耐えかねてカップヌードルを食べる。ひどい“おせち”だ。年越しの食パンをトーストしたのはいいが、バターが切れていたのが、なお裏寂しい。コンビニで煙草とエビアンを買ったのはいいが、ついでに缶詰ばかり山ほど買ったのは感心しない。もうこんなライフスタイルは限界だとわかっているのに。」

at:2008.1.1 8:15 PM----私からのre-mail

「おまえは、誰だ。なぜ、そんなことを知っている!」

at:2008.1.1 8:35 PM----「*」からのre-mail

「私は、きみだ。時間がないので、きみが信じるためにさらに荒療治をする。──昨夜帰宅の前に立ち寄った女とはできなかった。しかし自分のベッドにもぐり込んだら可能になった。思い出しながらきみは2度発散した。ひどく眠いのに。」

at:2008.1.1 8:45 PM----私からのre-mail

「おまえは誰だ。」

at:2008.1.1 8:50 PM----「*」からのre-mail

「私は、きみだ。きみの、20年後だ。インターネットは人の手を離れ、自らの“意思”で成長・増殖をし続け、もはや誰にもその全貌が分からなくなったのは2010年のことだ。そしてある時、私は発見した。URLを自動入力で10000乗すると、過去にアクセスできる。
 きみは今から羽田へ行って大阪へ向かうことになる。まもなく携帯電話にかかってくる緊急の仕事で、だ。今後10年を左右するすばらしい仕事の、ビッグ・チャンスだ。しかも、依頼者はきみを特に引き立ててくれている、あの広告代理店D社の局長、直々の話だ。ことわるわけにも行かないし、ことわるような理由もない。
しかし、きみは中止すべきだ。取り返しのつかない事故に会うからだ。
 その事故の結果、私は肉体のほとんどを失った。私に今あるのは“脳”だけだ。
 そのため私は、E-mailだけでコミュニケーションするしかない状態になった。視覚も聴覚も、ない。脳に直接接続された回線から、こうしてアクセスしているばかりだ。
 ただし、その代償として、莫大な補償を受けている。これまでのきみの稼いできた金額すべての百倍はあるだろう。
 それでも私は、もとの五体満足な肉体が欲しい!
 たとえこの業界で干されても、肉体には代え難い!
 行くなよ。絶対に、行くなよ。」

 ──いま、PCの脇に置いてある携帯電話が鳴っている。液晶に局長の名前が表示されている。私はこのメールを信じるべきか、それとも──。

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2008年5月 5日 (月)

12夜ショート・ショート「花の浅草、下町観光」

花の浅草、下町観光

 はぁ、まんず、これが浅草だっぺ。
 ほれ、みてみろや、カアチャン。
 よおくまあ、こんなにいっぺえ人が集まるもんだべや。
 今どっからか湧いてきたと思ったら、もう次が湧いてるでよう。
 まさか、おんなし連中がおんなしとこグルグル回ってるわけではねえだろうけっども、はぁ、それにすたってえれえもんだ。
 こらぁ、毎日毎日がお祭りだぁね。
 なに? キョロキョロすんなて?
 アホこくでねえ。
 おらたちゃ見物に来てるんでねえか。
 キョロキョロしねえで、なにをするだ。
 こっただ珍しい見せ物、なかなかお目にかかれるもんでねえぞ。
 しっかり目え開いて、よーく見るだ。
 なんも恥ずかしいことなんかねえだぞ。
 恥ずかしいのは、むこうだべが、ん。
 ほーれ、このカンザシ、おめに似合うんでねえだか。
 今どき、クサツの温泉場にだって、こんな毒々しい土産ものは珍しいだ。
 これこそ浅草っちゅうもんだべや。
 記念におめにひとつ買ってやるべ。
 --なに? 腹巻きからゼニ出すな?
 いちいちウルセエっぺ。
 この腹巻きがナウいんでねえか。
 トラさんとソックリにわざわざあつらえただぞ、この日のために。
 せっかく浅草へ来るっちゅうに、まーさかカルチェの財布じゃなんめえよ。
 TPOちゅうのも考えにゃなんね。
 まして、アメリカン・エキスプレスなんか間違っても出すでねえだぞ。
 それこそ笑いもんになるだ。
 女ちゅうのは、どうもその辺がわがらねえがら困るだ。
 考えてもみろや。浅草ちゅうたら東京の中の東京だべ。
 それがなんでこんなふうにしてっか、おめにわがっか?
 雷門のチョウチンがいくらでかくたって、そんなもん今どき誰がうれしがるかよ。
 人形焼きだの雷オコシだの芋ヨウカンだの、そっただものジイチャンだってバアチャンだって欲しがりゃしねって。
 実際たいしてウメえもんじゃねえしな。
 それぐれえならミスター・ドーナッツのほうがよっぽどマシだっぺ。
 もっとウメえもん毎日食ってるでねえが。
 このカンザシだって見てみろ。セルロイドと色紙でできてるだ。
 それだけじゃねえだぞ。
 あの有名なロック座や演芸ホール、木馬館や花やしきを見てみろや。
 あのウラブレた雰囲気! 
 あれが演出でなくて、なんだっていうだ!
 ようするに、あれだ。
 日光江戸村に行ったっぺ。
 あれとおんなしだな。
 なに? おらがストリップを楽しそうに見てた?
 そらぁ、おめ、礼儀っつうもんだべ。
 いかにもつまんなそうに見てたんじゃ、踊り子がかわいそうってもんだ。
 だいいち、おら、今さらストリップなんぞ見なくたって、裏ビデオ──いや、その、まぁいろんな楽しみがあるだ!
 よーするに、浅草ってとこは「うらぶれゴッコ」をするとこだべ。
 それも昭和30~40年代の、な。
 落後の貧乏話を喜ぶ心理といっしょだな。
 すっかすマア、浅草ちゅうとこは、つくづくアナクロだべ。
 うれしくってゾクゾクして来るだよ。
 まるでハア、タイム・マシーンにでも乗ったみてえだ。
 おめも、これが楽しめるようになったら一人前だぞ。
 こゆのーを「よい御趣味」ちゅうだ。
 なに? ほんとに浅草の人たちはわかってやってるのが、だって?
 わがってやってるに決まってるでねえが、バガッ!
 ここは東京だぞ! おらたちの田舎とはわけが違うだぞ。
 これが都会のセンレンされたセンスちゅうもんだべが。

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2008年5月 4日 (日)

11夜ショート・ショート 「私たちの望むものは」

私たちの望むものは

 ある日、新宿駅前のロータリーにいつも寝ている“予言者”というあだ名の浮浪者が、突然立ち上がって、おごそかに叫んだ。

「見よ、ビルが森に変わるぞ! 新宿は、いま、古代の姿に還ろうとしているのだ」

 目撃した人によれば、その姿はさながら映画でよく見るイエス・キリストを彷彿させるかのように神々しかったという。まあ、傍へ寄ると、いささか垢まみれで臭かったが

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2008年5月 2日 (金)

10夜ショート・ショート「マヨネーズ・サラダを、どうぞ!」

マヨネーズ・サラダを、どうぞ!

「あなたァ、助けてえッ!」
 妻の叫び声がキッチンから上がった。
「助けてえッ!」
「どうしたッ!」
 夫は叫ぶのと同時に読み掛けの雑誌をほうり出し、椅子を蹴って走り出し、すぐに妻のいるキッチンへ飛び込んだのだが、その瞬間足元がツルリと滑ってよろめいた。
「なんだ、これは! どうしたんだ!」
 床にマヨネーズ・ドレッシングが大量に流れている。
「マヨネーズに泡立て器をとられちゃったの!」
 妻が叫んだ。
「はあ?」
「泡立て器が勝手にホイップしているのよ。マヨネーズがどんどん増えているわ。見て見て、ボールからどんどん溢れてテーブルも床も覆って居間にまで広がって」
 なるほど、テーブルの上のステンレスのボールにはマヨネーズまみれの泡立て器が突っ立っているが、誰も手を添えていないのに勝手にホイップしているようだ。
「チャッチャッチャッチャッ

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2008年4月28日 (月)

8夜ショート・ショート 「魔法瓶」

魔法瓶

「水を一杯、いただけますかな?」
 通りがかりの老人から声を掛けられた。
「まことにもって不躾で恐縮じゃが……」
 その時私は、谷中の自宅の庭先で植木の手入れをしていた。夏の盛りで、曇り空とはいいながら、蒸し暑さはかなりのものだ。汗も吹き出るし、喉もひりつく。
「いいですとも。今持って来ましょう」
 私はごく自然に答えた。
「……えっ、なんと!? ……まさか!?」
 老人は、喜色と当惑の入り交じった表情になった。自分から言っておいておかしな人だ。
「――まことに頂戴できるのかな?」
「たかが水一杯のことではありませんか」
「いやいや、――なかなかそこまで言い切れるものではない、この状況ではのう……」
 猛暑にともなう東京の水不足は毎年のことだ。それでもなんの手も打たなかった報いだろうが、この夏、ついに水道から水が出なくなってしまった。ニュースでは毎日、干上がった小河内ダムを映している。かろうじて利根川荒川の各水系は生き残ったが、優先的に業務用水となるため、結果的に水道からの生活用水はなくなってしまった。“産業優先”には例によってマスコミを中心に非難が巻き起こったが、ほとんどの人がいずれかの産業に関わっているので、最終的には誰もが認めざるを得ないところで結局は落ち着いた。
「――確かに、ひどい水不足ですからね。少し神経質になっている人もいるでしょうね」
「神経質などという生易しいものではないな、あいつらは。オイル・ショックの時よりまだひどい」
 よほど嫌な目に会ったのか、老人は白鬚を震わせて怒っている。
「ほんとうにあの“水パニック”はすごかったですね。ミネラル・ウォーターの奪い合いも、すさまじいものでした」
「世も末じゃな」
「ガソリン1リットルよりミネラル・ウォーター1リットルのほうが高価なんですからね、なにしろ」
「馬鹿気たことだ」
 冷蔵庫から運んできた冷水をふるまうと、老人はうまそうに喉を鳴らして、ひといきに飲み干した。しかし白麻の上下に身を包んだ姿は、まったく汗をかいていないようだ。
「貴重な水を馳走になった。お礼に、これを差し上げよう」
 荷物など持っていないように見えたのだが、老人の手には魔法瓶が一つ抱えられていた。そして突然おごそかになって言った。
「正直者のお前に、永遠に水の涸れない魔法瓶を与えよう。これからも人々に優しくあれ。そして水なき時代の救世主たれ。よいか――」。
 そう言ったかと思うと、忽然と姿が消えた。あとにはなんの変哲もない魔法瓶が一つだけ。その開いた口からはまさにゴボゴボと水が溢れている。周囲の地面がみるみる濡れて行く。
「驚いた。本当に水が湧いている! ――よし、そういうことなら近所の人たちに分けてあげよう」
 その時、私は栓をするということを考えなかった。集まって来た人たちはまったく切れ目なく続いたので、栓をする必要もなかったのだ。
なにしろそれからというもの順番待ちは夜昼なく続き、秋口になっても雨の降りそうな気配さえない。コンビニエンス・ストア顔負けの24時間フルタイムである。各企業がスポンサーになって、夜間照明や順番待ちのためのベンチや特設テントまで設営された。警察官も24時間体制で警備にあたっている。
 それでも最初の頃一度だけ、庭先がメッカのようになってしまったのをなんとかしたいと思って、魔法瓶を移動しようとしたのだが、私の力では持ち上がらなかった。たかが魔法瓶なのに異様に重いのだ。
「──ま、いいか、このままでも」
 私はこういうところがいいかげんなのだ。おかげで庭の植木は踏み荒らされて見る影もない。あの老人の言葉に操られたとは思いたくはないが、やはり救世主気取りであったのだろう。現にマスコミの取材も殺到し、世間ではカッコ付きだが一応私は“救世主”と呼ばれるようになっている。
 しかし、この時気づくべきだったのだ。
 確かに最初から栓はなかった。しかも、老人は「永遠に湧き続ける」と言っていた。
「こりゃあたいへんなことだぞ」
 溢れ続ける水はますます勢いを増して、音もゴオゴオと聞こえるほどになっている。行列の人たちが汲み取るより、湧くほうが早くなっている。ちょっとした合間を縫って、私はずぶぬれになりながら、なんとか蓋をしようとしたが、どんなものも水の勢いに跳ね返されてしまう。どこかへ運ぼうと、数人の人に手伝ってもらって持ち上げようともしたのだが、持ち上がらない。そこで、クレーンを持って来てピックアップすることにした。
 私を中心に大勢のヤジウマが見守る中、魔法瓶にクレーンの爪が食い込む。メキメキと音を立てたかと思うとスッポリと持ち上がり、と思った瞬間、魔法瓶の置いてあった地面から巨大な水柱が空高く上がった。──私は茫然とそれを見上げた。
「まるで地球に穴が開いたみたいだ……」
 見る間に穴の直径は1メートルに達して、なおどんどん広がっている。
「人類を救うというのは、このことなのだろうか。もしかするとこれは、あの“大水”か……」
 魔法瓶の段階で、水道の本管に接続してしまうという方法もあったのだ。永遠に水が湧き続けるのであるならば、それこそ使い方でこの魔法瓶は救世主になったはずである。世間からちやほやされることで増殖してしまった私の“欲”が、こういう結果を招いてしまったことになる。
 全世界が水没したのは、それからわずか1週間後のことであった。──私は今、ノアの箱舟ならぬ釣り用のゴムボートに乗って水面を漂っている。

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2008年4月27日 (日)

9夜ショート・ショート「ボディビル」

ボディビル

 彼は美しかった。
 しかも頭脳は、余裕を持って東大法学部に合格したほどで、乗馬とスキーは国体出場の腕前。家柄は、縁戚に皇族や政治家や学者がキラ星のように居並ぶ名門。なおかつ、彼の父は海外にその名を知られる大企業のオーナーで、その経済的恩恵を、彼は生まれた瞬間から十二分に享受していた。
 つまり、彼はオールマイティである。
 ひとが、「それだけでいいから欲しい」と切望するものを、すべて持っていたのだ。
 彼自身は特に意識することもなかったが、まぎれもなく幸福であった。
 しかし強いて不満を言うならば、「もはや何も求めるものがない」ということになる。
「わたしは強く美しい、誰よりも」
 彼がそうつぶやいても、東大の同級生の中にさえ否定する者はいなかった。
 彼の周囲には、彼の魅力にとらわれた多くの賛仰者がいたが、男女を問わず、彼に対抗しようと思う者はいなかった。そして、対抗できる者がこの世には存在しないであろうことは、彼と出会った者なら誰もが抱く確信であった。
「──わたしは、神かも知れない」
 彼が何気なくそうつぶやいた時でさえ、その場に居合わせた者すべてが無言でうなずいていたほどだ。
 ところが、そんな彼に、ひとつの衝撃を与える出来事があった。
 ある日、なにげなく開いた海外の雑誌で、ミスター・アメリカ・コンテストの記事を目にした時のことだ。そこには、ボディ・ビルによって極限まで鍛え上げられたアポロンたちがいた。あたかもブロンズの彫刻と見紛うばかりの、肉体の芸術である。
 彼はその写真を見つめながら全身が震え、血が逆流する思いであった。
「神の啓示だ!」
 これさえ手に入れれば、ほんとうに全知全能の神になれると彼は思った。まだ、この世に求めるものがあるという喜びが、彼のその思い付きをいっそう強固なものにした。
 それ以来、彼はストイシズムに取り憑かれてしまった。
 煙草や酒はいうに及ばず、“筋肉”に直結しないものはそれまで好んでいた食物さえすべて断ってしまった。そしてひたすらボディビル・ジムに入り浸るようになった。三島由紀夫が通ったという伝説の後楽園ジム──ここには、神の国への階段があるのだ!
 プロテインを主食としたが、他に肉、卵、牛乳、チーズといったものなら、食欲とは関係なく、無理にでも詰め込んだ。たとえ栄養のバランスが崩れると忠告されても、彼は聞く耳を持たなかった。ある種の薬物さえ拒まず、ボディ・ビルそのものへの非難も、彼はまったく意に介さなかった。
「どうしてまた、あんな陰気なことを」
「あれは他に楽しみのない者や、コンプレックスの強い者がやるもので」
「キモチ悪いわ、“筋肉お化け”じゃないの」
「一種の変態?」
「ホモに気をつけて」
 彼は社交界とも縁を切った。それまで、夜毎違う女を抱いていたのだが、全エネルギーをボディ・ビルに注ぐため、女たちをも一切寄せつけないようにした。
 それからの日々は、筋肉への執念で明け暮れるようになった。
 眠ること、食うこと、それ以外は“鉄”とのコミュニケーションである。バーベルやダンベルが彼と肌を接する友人であった。
 当初は、
「豆乳にしたら?」
「繊維質やカルシウムも摂取しないと」
「せめて一日置きにすれば毎日よりも効果が」
 ──等のアドバイスを与えていたコーチ・ビルダーも、かれの偏執的なまでの拘泥にサジを投げた。
 それ以来、彼は口をきく相手さえいなくなった。
「わたしは、神に、なるのだ!」
 巨大なバーベルを持ち上げる時に、そう叫んだのを聞いた者がいた。また、
「神よ、もうすぐ、わたしも追いつきます」
 姿見に裸身を映して、うっとりとつぶやくのを聞いた者もいた。
 ○月×日、九段武道館。ミスター・ニッポン・コンテストの日である。
 彼は観衆など問題ではないと思いながらも、ついに完成に至った肉体を見せたかった。
 舞台中央に進み出て彼はポーズを取って力を込めた。
 全身の筋肉がミシミシメキメキと音を立ててふくれ上がる。
 会場に広がるため息と歓声。コンテストの参加者の中にも、さすがに彼の姿に勝る者はいないようだ。
 しかしその時、
「ボキ」
 という鈍い音が聞こえた。
 上腕骨の折れる音であった。
 さらに同様の音が体のあちこちで立て続けにしたその瞬間、彼の身体は、なんと弾けたゴムのようにひとかたまりに縮んでしまった。
 舞台の上に、ごろりと転がった肉の塊。
 スポット・ライトが、その異様な質感をくっきりと照らし出す。
 ──あまりに強靭となった筋力の負荷に、骨格が耐えきれなかったのである。
 筋肉を誇示するために力を込めた瞬間に、彼の全身の骨はあっという間に砕けて、あとには一個の肉のボールが舞台に転がることとなった。
 会場のどよめきの中で、彼はうすれ行く意識に身を任せた。そしてかすかな声で、
「いま、まいります……」。

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