カテゴリー「文化・芸術」の17件の記事

2017年11月22日 (水)

「ことだまの幸(さき)はふ」とは?

ことばは単なる音声やその連続ではなく、実体をもつ。神の名をよぶことは神をそこに招くことであり、死者の名を口にするときは、その霊をよぶ危険があるとされた。「ことだまの幸(さき)はふ」というのは、ひとりわが国の古代のみではなく、ことばの発達の過程にみられる一般的な事実である。──by 白川静

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2014年10月26日 (日)

富岡製糸場が国宝だって?

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富岡製糸場が国宝だって?
おいおい、全国に築数百年以上の神社がどれだけあると思ってるんだ?
しかも重文にさえなっていないものが目白押しだよ。

写真は、宇治上神社本殿覆屋。もちろん国宝であり、世界遺産だ。
康平3年(1060年)頃建立の現存最古の神社建築(京都府宇治市)であります。
富岡の工場が、これと同格だというのかな?

(写真はWikipedia「神社建築」より引用)

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2014年6月22日 (日)

鳥居が守る四天王寺

Shitennouju01 四天王寺(大阪)は、蘇我馬子の飛鳥寺(法興寺)とともに、日本最古の本格的な仏教寺院として知られている。
その草創の由来は『日本書紀』に記されているので有名だ。
蘇我馬子と厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋と戦った時に、四天王に祈願して勝利したというものだ。
厩戸皇子(聖徳太子)の草創を伝える寺は近畿一円に多数あるが、
実際に創建に関わったのは四天王寺と法隆寺のみ。
そしてその四天王寺は、巨大な石の鳥居で守られている。
しかも仏教寺院では最も重要な「西門」に鳥居はそびえる。

西方浄土は鳥居の彼方にあるのだ。

なお当初、四天王寺は玉造(大阪城付近)に建てられ、現在地へは593年(推古天皇元年)に移転。
旧地には鵲森宮(森之宮神社)がある。

四天王寺西門・大鳥居の謎を解くのは『怨霊の古代史』河出書房新社。

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2014年3月 9日 (日)

久高島の風葬を冒涜した“芸術家”

「それは十二年前のイザイホーのとき、過疎のすすむこの島で、これがもう祭の最後になるかもしれないというので、多くのカメラマンや報道関係者をうけいれたという。おそらくそのカメラマンのなかの不心得者だろうが、風葬の後生に入って墓を写真にとるばかりか、棺を開けて死者の写真まで撮った。その棺をしばった太い針金をペンチで切るほどの荒しようであった。しかもその写真は、ある好奇心のつよい、太陽の好きな前衛画家の見学記を入れて、週刊誌にのせられたのである。村のショックは慟哭するほど大きかったという。」(五来重『葬と供養』「久高島の風葬」1979年)

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2013年9月 9日 (月)

神主の姿で絵を描いていたサルバドール・ダリ

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もう30年以上前の話ですが、サルバドール・ダリというシュールレアリズムの画家がおりまして、取材を一切受けないことで知られておりました。ピカソと並び称されるほどの巨匠ですから、どうにかして引っ張り出したいと世界中のメディアが苦心していた時、日本の11PMという番組が、こわいものしらずの図々しさでいきなりTV出演を依頼したのです。すると、なんと「出ても良い」というのです。もちろんクルーが現地に行って撮影するのですが、それでも大ニュースです!
ただし、条件が付きました。
「出演料はいらない。そのかわりに、最上級の神主の装束を一式ほしい。また、その着方も指導してほしい」
というのです。
ダリは大金持ちでしたから、たかがしれた出演料などどうでもいいのでしょう。かなり高額の出演料を提示したらしいのですが、ダリにはそんなものはたいして意味はないのです。しかしプロデューサーは大喜びで、契約は成立。
帰国したプロデューサーはさっそく出演することを発表し、得意満面でした。
そして神社関係者に問い合わせて「最上級の装束」を発注しようとしたところ、価格は、1,500万円だというのです!30年以上前の金額ですから、かなりのものです。しかしもはや後には引けません。テレビ局の沽券にも関わります。なにしろ出演するだけで世界的なニュースなのですから。
──そしてめでたく出演成って、ダリはそれ以後、死ぬまで、アトリエで作品を制作する時には神主の装束でおこなっていたそうです。めでたし、めでたし。

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2010年11月12日 (金)

死化粧で発達したメイクアップ技術

 現在のメイクアップ技術は、ハリウッドで発達したものです。
 映画の「メイキング映像」などでもしばしば紹介されますが、極論すれば「何にでも化けることができる」技術です。
 宇宙人にでも、猿人にでも、またエレファントマンにも「異性」にさえも変貌できる技術です。
 だから、たとえ死にかかっている病人であっても、健康で光輝く「顔」に創り上げてしまいます。
 究極の事例が「エンバーミング」。──映画やテレビドラマにもなったので、最近は日本人にも知られるようになりましたが、「死体・遺骸の保全技術」のことです。
 その専門技術の有資格者を「エンバーマー」といいますが、アメリカでは教育機関も整備されており、公的資格となっています。
 キリスト教国では「死者の復活」が教義にうたわれているため、「土葬」が一般的です。
 これに対して仏教国では、「荼毘にふす」ということで「火葬」が一般的です。
 日本は元々は神道ですから、本来は「土葬」なのですが、江戸時代から仏教による檀家政策を採ったことの影響で、現在は「火葬」が法律で義務づけられています。
 エンバーミングは「土葬」なればこその技術であって、だから「火葬」の日本には縁の薄いものですね(一部の業者が勝手におこなっているようですが、本家の技法とは似て非なるものであって、法的にも問題があります)。
 エンバーミングは異質な文化と私たちは感じますが、その起源は実は古代中国にあります。
 古代中国では、皇帝や貴族の遺骸は死後に内蔵を除去して、代わりに朱肉を詰め込みました。すると、いつまでも生々しい状態を保てる、というものです。
 革命が起きると、前の王朝の墓をあばき、遺骸を陵辱することで新たな権力を誇示したと伝えられています。生々しく保存されていればこそ、陵辱の効果もあるということなのでしょう。
 いわゆる「ミイラ」は“干物”状態ですが、エンバーミングされた遺骸は見た目は生前とさほど変わりなく、文字通り「眠っている」ように見えるものです。
 これに高度な「メッイクアップ」技術が加わって、いつまでも「美しい死体」が保存されるというわけです。「死化粧」によって「生き生きと」させてしまう、というアイロニカルなことになるわけです。
 日本の「死化粧」は火葬までのその場しのぎですが、アメリカの「エンバーミング」は、遺族がいつでも「生前さながらの姿に会える」ことを前提としています。だから、ジョン・F・ケネディもマリリン・モンローも、そしてジョン・レノンも、今でも「会える」ということなのです。(『カリスマのつくり方』PHP新書 より)

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2009年12月16日 (水)

千木・鰹木が示す重要な意味(121夜)

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難しい文字ではないのだが、一般の方には読めないだろう。
これは「ちぎ」「かつおぎ」と読む。
千木は、図にあるように神社の屋根の両端に交差して天に向かってそそり立っている軸木。
鰹木は、神社の屋根の頂に並んでいる鰹節のような形の木片である。
神社建築には多くの種類があるが、千木・鰹木の両方あることが古い様式とされている。
代表的な社殿には出雲大社(大社造)や伊勢の神宮(神明造)があるが、
寺院に影響を受けた後世の社殿でも、千木や鰹木を組み込んだものも少なくない。
これは神社建築の象徴であり、重要な記号である。

起源にはいくつかの説があるが、元々は単純に構造や機能に由来したものだろう。
千木は、屋根の枠木がそのまま切り落とさずに残ったものであろうし、
鰹木は、重しであろう。
いずれにしても淵源のわからないほどに古い成り立ちである。
また、すでにそういった構造や機能からは独立した意匠・デザインになっている。
絵画や模型などで神社を表現する時に、これさえ守ればそれらしくなるほどだ。

しかしこれは、実は単なる意匠・デザインではない。
そこには重要な意味が体現されている。
これこそは古代人からの暗号・記号(サイン)である。
文字さえもなかったような古い時代の人々からの重要なメッセージがここにある。

千木には2種類ある。
内削(うちそ)ぎと外削(そとそ)ぎ、である。
先端を水平に削るのが内削ぎ、垂直に削るのが外削ぎだ。
内削ぎの千木が聳える社殿には、女神が祀(まつ)られている。
外削ぎの千木が聳える社殿には、男神が祀られている。
古代の人々は、いかなる理由によるかはともかく、そう決めたのだ(長くなるので理由はここでは省略する)。
そのルールによって、以来二千年以上に亘って神社は建築されてきた。

鰹木にも2種類ある。
偶数と奇数である。
偶数は女神、奇数は男神を祀る。

したがって、内削ぎの千木には鰹木は偶数本であり、外削ぎの千木には鰹木は奇数本であり、
それは社殿の大原則である。
1 出雲大社は、外削ぎ・奇数であるから祀られている神は男神である。
伊勢の内宮は、内削ぎ・偶数であるから、祀られている神は女神である。
そして伊勢の外宮は、外削ぎ・奇数であるから、祀られている神は男神、ということになる。
──さて、それでは外宮の祭神はいかなる神か?

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これは古代から届いた私たちへのメッセージだ。
他にもまだ重要なメッセージが千木・鰹木には込められているのだが、それはまた別の機会に。

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2009年10月21日 (水)

「文豪の街」に本屋がない!(116夜)

Kc3o0010 私の住んでいる文京区千駄木町は、かつて鴎外・漱石が住んでいたところから「文豪の街」などという気恥ずかしいキャッチフレーズを掲げている。物書きのハシクレの身としては居たたまれないこと甚だしい。「かんべんしてくれ~っ」と、酔っぱらって天に向かって叫んだこともあるが、もちろんそれで何かが変わるはずもない。一時は街灯一つ一つに「文豪の街」という旗が懸けられていて、見渡す限り何十、いや何百という「文豪の街」が延々と連なっていたのは耐え難い景観であった。
さすがに、それは今はなくなったが、店先など至る所でこのキャッチフレーズは踊っている。

しかも、この「文豪の街」には、なんと本屋さんがないのだ、一軒も!
本屋のない「文豪の街」、それが千駄木町である。
なんと皮肉なことだろう。
古本屋とブックオフが一軒づつあるだけだ。
隣接する白山や根津にはあるのだが、千駄木町内は数年前に最後の一軒が閉店して、ついにゼロ地帯になってしまった。
この街で育つ子どもは本屋に立ち寄ることもできないのだが、これでいいのだろうか?
文京区という区名からしても、ちょっと情けない気がする。
区営か町営の本屋でも、やってくれないものだろうか?

(※写真は渋谷・紀伊国屋書店)

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2009年8月 7日 (金)

匿名の書き込みは卑怯!(109夜)

Charisma Amazonカスタマーレビューを削除したことについてひとこと。
拙著『カリスマのつくり方』(PHP新書)に、読者からカスタマー・レビューという形で感想が書き込まれていましたが、20090807現在、本書についてのレビューはありません。
これは著者より削除を依頼したためです。
正体不明の一人により、見当外れの悪意ある誹謗が書き込まれたため、
Amazonの管理担当に削除を依頼したところ、全削除であれば受け付けるとのことでした。
そのため、残念なことに、7件書き込まれていたレビューをすべて削除せざるを得なくなりました。
一部の心ない人のために、きちんとレビューを書いてくださったかたのものまで削除しなければならなくなったのは心苦しい限りです。
せっかくレビューを書いてくださった方々には、お礼と同時に謝罪いたします。

Amazonばかりでなく、インターネットというものは匿名であるがゆえに自由な発言が可能ともいえますが、またそれゆえに無責任な誹謗中傷も可能です。
Amazonカスタマーレビューなどの場合は、匿名性を認めている以上、いかなる書き込みであっても防ぐ方法もなく、反論することもできません。よほど悪質なものはAmazonで自主的に削除するそうですが。
(実名で書いておられる一部のかたには敬意を表します!)

インターネットの匿名性の問題は、今後も多くのシーンで直面する重要課題ですが、このような答え(全削除)は望ましいものではありません。
とくに書評については、著者が「署名」なのですから、レビューも「署名」であるべきと私は考えますが、いかがでしょう? そのほうが公正なレビューになると考えますが。

なお、mixiには本書についてのレビューが19件公開されています(20090807現在)
こちらは匿名ではありません(現実的には「なりすまし」も可能ですが、これらはそうではないようです)。
内容は毀誉褒貶さまざまですが、それこそは自由な意見です。署名レビューとしての責任をまっとうしていると思います。
どうぞ、ご参考に。

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2009年5月14日 (木)

B級女優の森光子がトップになった日(104夜)

演劇界・映画界では、女優の森光子が「B級」であることは周知のことだ。

それが、文化勲章に続いて、今度は国民栄誉賞だという。

これでは日本人、とりわけ子どもたちは誤解するだろう。

「森光子こそが超一流の女優だ」と。

長生きした者勝ち、でいいのかなあ。

日本文化が壊れてゆくのがしのびない……。

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