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2019年2月 2日 (土)

■江戸にはなかった新たな東京龍脈

 対数螺旋の水路こそは、江戸の一大発展の原理でした。
 ただ残念ながら、現在の東京ははこの形状をとどめていません。
 濠はあちこちで埋められて寸断されて、皇居の周囲を除けば、あとはコマ切れの溜め池にすぎない状態です。
「内堀」「外堀」などという呼び名が現代において定着しているのは、この所為もあるでしょう。現在の東京都内の地図を眺めても、もはや「螺旋水路」を見て取ることは困難です。
 さてそれでは、「螺旋水路」の失われた東京は、弱体化しているのでしょうか。
 ところが現代の東京は、あらゆる意味で最高度に発展したのを裏付けるように、風水もより強力になっているのです。
 その根拠は何か?
 実は、「鉄道」と「道路」が水路に替わってその役割を果たしているのです。
 かつて水路は、都市の経営にとって重要な機能の最たるものでした。
 とくに江戸と大坂は、基幹交通路として活用され、平時は経済活動の動脈として、また非常時は防衛線となっていたのです。
 しかし時代は急激に変化しました。
 それにともなって水路の役割もまったく変わりました。
 鉄道が発達してまず物資の運送運搬機能が失われ、さらに道路と各種車輌の急速な発達は、水路をほとんど無用のものと化したのです。
 存在意義が希薄になれば、風水の意義も希薄となります。それが人工施設の宿命です。
 もともと存在する大自然の「四神」は、人間社会がいかに変化しようとも基本的には不動です。 
 しかし四神相応の整合を図るために人工的に整備造作されたものは、環境が変わって意義に異動があれば当然変わるものです。
 たとえば京都の鴨川の意義が希薄となったのも時代の変化、社会の変化のゆえでした。この青龍が土木工事によって建設されたのは時代が求めていたからでもあって、したがって時代が移り変わればその価値も変わります。
 鴨川は、どぶ川時代を経て、飾りものの観光資源となったのです。
 東京の隅田川も同様です。
 もはやそれらの水路は、日本の文明や社会の発展にとって絶対条件ではなくなりました。
 あえて比較するならば、その必要性において、道路に及ばないことはもちろんですが、鉄道にさえもはるかに後塵を拝するものでしょう。
 ヴェネツィアのような水上都市であるならいざ知らず、現代の都市にとって水路はもはや補助的な機能でしかないのです。
 そして、より大きな経絡(けいらく)に、より強い「気」が集まり伝わるのは基本原理です。
 したがって、いま最も強い「気」は、最も大きな幹線道路や幹線鉄道によって導かれているということになります。
 東京には「環状線」と称されている鉄道と道路が建設され、それらは今もなお生長し続けています。
 そして関東・東京のそれは、ひたすら丸の内界隈を目指すようデザインされているのです。
 そしてその手法のパイオニアが天海なのです。
 天海の呪術の特異性は、ただ一点に収斂されます。
 そう、その答えこそは「富士山」なのです。
 富士山をすべての根源に位置付けることで、これまでの陰陽道(風水・方術)とは異なる原理を生み出しているのです。
  江戸東京が富士山に呪縛された都であることは認識していただけたかと思いますが、それではなぜそれほどまでに富士山を畏敬するのか。その「秘密」を解き明かしましょう。
(『富士山、2200年の秘密』 かざひの文庫 第1章より)
 

Fujisanhimitsu01

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