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2019年1月22日 (火)

出雲大社は「下り宮(くだりみや)」である!

■「下り参道」は何を意味するのか
 出雲大社へお詣りしたことのある人は、参道が下り坂になっていることに気付いた人も少なくないと思う。これを「下り参道」、そしてその行き着く先に祀られる神社を「下り宮」と通称する。
 私も、出雲大社へ初めて参詣した時に、ちょっと驚いた。今から四十年近く前のことであるが、まだ当時は、「下り参道」にどのような意味があるのか、今のように議論がなされる前である。参詣者がどんどん流れ込んでくるように下っているのかな、くらいに思っていた。しかしその後、全国各地の神社を訪ねて、それがきわめて特異な形であることを嫌でも認識することになった。「下り参道」「下り宮」は、異常なのである。
 現在私が把握している限りでは、「下り参道」の神社は全国に十社ある。たぶん他にもまだあると思うが、それについての完全な調査資料はないので、統計もないだろう(ぜひ読者諸兄姉のご教示をお願いいたします)。
 以下、北から順に列挙してみよう。
▼一(いち)之(の)宮(みや)貫(ぬき)前(さき)神社 群馬県富岡市一ノ宮
【祭神】姫大神 経津主(ふつぬし)神
▽木(き)曽(そ)三(さん)社(しや)神社 (通称・木曽明神)群馬県勢多郡北橘村下箱田
【祭神】須佐之男命 彦火火出見命 豐玉姫命 宇氣母知神
▽玉(たま)置(き)神社(通称・玉置さん)奈良県吉野郡十津川村玉置川
【祭神】國常立尊 伊弉諾尊 伊弉册尊 (配祀)天照大神 神日本磐余彦尊
▽熊野本宮(ほんぐう)大社(通称・本宮さん)和歌山県東牟婁郡本宮町本宮
【祭神】家津美御子大神 素盞嗚尊 速玉之大神 伊邪那岐大神 事解之男神 伊邪那美大神 天照皇大神
▽薦(こも)神社(通称・大貞八幡(おおさだはちまん))大分県中津市大字大貞
【祭神】應神天皇 氣長帶姫命 田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命
▼草(くさ)部(かべ)吉(よし)見(み)神社 熊本県阿蘇郡高森町草部
【祭神】日子八井命 比咩御子神 比咩御子命 天彦命 阿蘇都彦命 阿蘇都比咩命 新彦命 彌比咩命 速瓶玉命 若彦命 新比咩命 彦御子命
▽鵜(う)戸(ど)神宮 宮崎県日南市大字宮浦
【祭神】日子波瀲武(ひこなぎさたけ)鵜鵜(うかや)草(ふ)葺(き)不合(あえず)尊 (配祀)神日本磐余彦尊 大日靈貴 天忍穗耳尊 彦火瓊瓊杵尊 彦火火出見尊
▽速(はや)川(かわ)神社 宮崎県西都市大字南方字鳥ノ巣
【祭神】瀬織津比咩命 速開津比咩命 氣吹戸主命 速佐須良比咩命
▽聖(ひじり)神社(通称・聖(ひじり)大(だい)明(みよう)神(じん)社(しや))鹿児島県鹿児島郡三島村竹島18
【祭神】彦火火出見尊 豐玉姫
▼出雲大社
 概要略
「下り参道」には、そうであるべき意味がある。
 ただし、環境条件や祭祀内容によって意味は異なる。
 まず、はっきりしているのは、水神を祀る神社である。水辺に祀るか、あるいは湖や河川そのものをご神体や依り代として拝礼するのであれば、必然的に周囲から下ることになる。
 右に挙げた神社でも、熊野本宮大社は熊野川そのものがご神体であるから、その中州に社殿が設けられたのは理にかなっている。現在は山の上に本殿が鎮座しているが、明治になるまでは、その麓の熊野川の中州にあった。ところが近代になって山林の乱伐がすすみ、山の保水力が低下したことから明治二十二年に大洪水が起き、中州の社殿は流されてしまった。そのため、山上に社殿を新たに建設し、中州の跡地は大斎原と呼ばれる霊地となっている。
 また、薦神社は三角池(みすみいけ:古くは「御澄池」と記すこともある)そのものが内宮であるから、この地域において最も低い場所にあるのは当然である。
 玉置神社は鎮座地の地名が示すように川、鵜戸神宮はまさに海、速川神社は社名のとおり川、聖神社は祭神が示すように海というように、むろん、宗像三神や瀬織津比咩命、豐玉姫などの水神そのものを祀っているのも、その証左の一つであるだろう。右のリストで▽のものがそれに該当する。水神を祀るものは下り参道だからといっても、そこに宗教的・祭祀的に封印の意味はないだろう。
  これに対して、▼の三社は、地理的な要因を伴わないにも関わらず「下り参道」となっている。
 日本は山岳列島であるから、神を祀るにふさわしい場所を見つけるのはさほど難しいことではない。見上げる場所はそこかしこにあって、わざわざ低地に降りていって、見下ろすような場所に神祀りする必要は基本的にないだろう。そもそも神を見下すなどという姿勢は、神を敬う心とは相反するものである。事実、日本のほぼすべての神社が、そうではない場所に鎮座している。
 しかし、現にそういう神社が少数存在するのだ。
  これは、あえて低きに祀る祭祀法であろう。
 では、「下り参道」「下り宮」は何を意味するのか。
 一之宮貫前神社は、群馬の富岡にある。近年は富岡製糸場で知られるようになっているが、中世まで大和朝廷の支配の届かない外界であった。蝦夷の地であり、ヤマトタケルや坂上田村麻呂など、繰り返し東征をおこなっている。
 一之宮貫前神社は、その最前線。つまり、東の地の果てである。ここに経津主命が祀られているのは、もう一体の祭神である謎の神・姫大神を監視し、封じるためであろうと私は推測している。
  姫大神は、古来、神名は不詳である。一説に機織りの神である稚日女との説があって、製糸場を建設する際に都合良く利用されたが、江戸時代に発生した俗説である。
 一宮であることと、その規模や信仰の古さから、祭神はかつてこの地の大王、すなわち蝦夷の首長族長であったと私は考えている。それは、卑弥呼のような巫女王、女性祭主であったのではないか。大和政権はその霊威の祟りを怖れて、手厚く祀り、ここに封じたのだ。
 草部吉見神社は、阿蘇の古き神々を祀る。神武天皇東征の時に、高千穂から五ヶ瀬川に沿ってこの地に来た際に、池の大蛇を退治し、その池を埋めてここに宮殿を設けたとの伝説がある。
 しかしその伝説は付会、こじつけであろう。例によって、大蛇退治はこの地の蛮族の族長を討ち取ったとの意味であるだろう。
 下り宮になっていることに説明が付かず、池を埋め立てて宮殿を造営したことにしているが、そもそも遠征中の天皇の宮殿を設けるのに、わざわざ池を埋め立てる必要はないし、またそんな低湿地に故意に宮殿を設けなくとも、他にふさわしい場所がいくらでもあるだろう。
 つまり、ここに社殿が鎮座するのは、討ち取った族長の神霊が怨霊神・祟り神にならぬように封じるための呪術である。族長は、クマソタケル(熊襲建・熊襲梟帥)のことなのではないかと、私は推測している。
 以上のように、事例は今のところ右の二社のみであるが、「下り参道」「下り宮」にはこのような意味があると私は考えている。すなわち、怨霊神・祟り神の封印、慰霊鎮魂である。
 そして、出雲大社は、もう一つの事例である。
  延々と続く「下り参道」を下りきった谷底に出雲大社は鎮座する。
 つまり、出雲大社は地の果てに建てられたのだが、のみならず、谷底の湿地に建てられたのだ。この地は現在二本の川に挟まれているが、要するに川が氾濫すれば水浸しになり、おそらくは川の流れも時代によって移り変わるため、河川敷や中州のような地質であっただろう。このような地質の場所は、通常住宅が建てられることはない。神の住まいである神社となれば、なおさらであろう。
 にもかかわらず、そこに、出雲大社は建設されたのだ。
 もしこれが天皇の宮殿であったなら、このような土地に建設されることはありえないだろう。そもそも出雲の祖神であるスサノヲが初めて宮殿を構えた須我の地は、スサノヲみずから「すがすがしい場所だから、ここにしよう」と決めたという伝承がある。なのに、このようなすがすがしくない場所に大社は建築されたのだ。
(『オオクニヌシ 出雲に封じられた神』河出書房新社 第2章より)

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