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2018年12月29日 (土)

おすすめ映画『洗骨』

〈 洗骨とは 〉
今は殆ど見なくなった風習で、
沖縄の離島、奄美群島などには残っているとされる。
沖縄の粟国島(あぐにじま)では島の西側に位置する
「あの世」に風葬された死者は、
肉がなくなり、骨だけになった頃に、
縁深き者たちの手により骨をきれいに洗ってもらい、

ようやく「この世」と別れを告げることになる。
2019.1.18(金)沖縄先行&2.9(土)丸の内TOEI他全国公開。照屋年之監督長編第二作、奥田瑛二主演。家族の絆と祖先とのつながりをユーモアたっぷりに描き、世界中の映画祭で絶賛された感動作。

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2018年12月25日 (火)

ついに10刷です!感謝!

重版出来。

9784062194761

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2018年12月24日 (月)

防衛しないと。

レーダー照射は明らかな攻撃行為であるというなら、
ただちに反撃しないと防衛にならないのでは?
米軍なら、きっと即座に反撃=爆撃&撃沈するでしょう。
そういうのを「正当防衛」って言うんじゃないの?

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2018年12月16日 (日)

相撲は芸能であって神事ではない。

そもそも相撲は芸能であって神事ではない。

横綱土俵入りなどというものは
江戸時代に権威付けのために発明されたもので、
歴史的にも宗教的にも根拠はない。
なによりも、力士の股ぐらにシメ縄を掛けるなどとは、不届き千万!
何に対して拝礼し手を打つのか。
こんな馬鹿げたことはない。
女人禁制も本来の神道思想にそぐわない。
皇祖神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)は女性である。
蛇足だけれど、ついこの前まで女相撲も盛んだったしね。

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2018年12月12日 (水)

美文の発明

漢文を日本流に訓読する方法を「読み下し」という。
漢語と和語の合体によって、みごとな美文を発明した。
それが誰によるのか、実は、まったくわからない。
しかしおそらく、これが最上の和語であろう。
読み下し文に比べたら、その他の美文といわれている作家の文章などガラクタに過ぎない。
かくいう私の文章も、書き下し文のエッセンスを可能な限り真似ている。
上手に真似ることができればできるほど、すぐれた文章になる。
いつも、そのように心がけている。

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2018年12月 9日 (日)

書籍の価格を見直そう!

書籍は、安いから売れると思うのは勘違いで、
高くても売れるものこそが本当に必要とされる本だろう。
しかも長く売れ続ける内容で。
そういう特殊な商品なのだと考え直す時期に来ているのではないか。
単行本と文庫との差があまりないのも不自然だ。
文庫は、欧米のペーパーバックに相当するものなのだから、
読み捨てるくらいの感覚で良い。
それと比べれば、
単行本は装幀にも意を尽くして、
所蔵するに相応しい魅力をそなえてほしい。
皮装や金箔も復活して、
高級感をかもすのもいいかもね。

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2018年12月 5日 (水)

折口信夫の「真床襲衾(マドコオフスマ)」

「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が、皇位を継承した事になるが、信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、等しく天照大神の御孫で居られる。御身体は御一代毎に変るが、魂は不変である。すめみまの命といふ詞は、決して、天照大神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大神との御関係は、ににぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である。
此重大な復活鎮魂が、毎年繰り返されるので、神今食・新嘗祭にも、褥が設けられたりする事になる。大嘗祭と、同一な様式で設けられる。復活を完全にせられる為である。日本紀の神代の巻を見ると、此布団の事を、真床襲衾(まどこおふすま)と申して居る。彼のににぎの尊が天降りせられる時には、此を被つて居られた。此真床襲衾
こそ、大嘗祭の褥裳を考へるよすがともなり、皇太子(ひつぎのみこ)の物忌みの生活を考へるよすがともなる。物忌みの期間中、外の日を避ける為にかぶるものが、真床襲衾である。此を取り除いた時に、完全な天子様となるのである。此は、日本紀の話であるが、此を毎年の行事でいへば、新嘗祭が済んだ後、直に鎮魂祭が行はれ、其がすんで、元旦の四方拝朝賀式が行はれる。だが此は、元は、一夜の中に一続きに行はれたもので、秋祭りの新嘗祭と、冬祭りの鎮魂祭即、真床襲衾から出て来られ、やがて高御座にお昇りなされて、仰せ言を下される。此らの事は元来、一続きに行はれたのであるが、暦法の変化で、分離して行はれる様になつたのである。日嗣ぎの皇子が、日の皇子(天子様)におなりなされると、天子様としての仰せ言が下る。すると、群臣は天子様に対して、寿言(よごと)を申し上げる。寿言の正確な意味は、齢を祝福申し上げる、といふ処にある。すめみまの命の御身体に、天子霊が完全に這入つてから、群臣が寿言を申すのだ。寿言を申すのは即、魂を天子様に献上する意味である。群臣等は、自分の魂の根源を、天子様に差し上げて了ふのだ。此程、完全無欠な服従の誓ひは、日本には無い。寿言を申し上げると、其語について、魂は天子様の御身に附くのである。」

──折口信夫「大嘗祭の本義」より

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