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2017年2月26日 (日)

批評とは評価であるべき

 近年はSNS(social networking service)の急速な発達・浸透にともなって、個人が容易に意見を発表・発信することができるようになった。私の著作についても、新たに上梓するたびに少なからぬ意見をネット上で発していただいている。特定の少数者の特別なものであった批評が、万人に開放されたのはすばらしいことだと思う。
 拙著についてのSNSは、その多くは評価でありつつも、なかには批判もある。そして、その何割かは本論の中核テーマについての批判や反論ではなく、論理の組み立て方や、表現の手法など枝葉末節についてのものであるのは残念なことだ。ぜひ本質論を期待したい。
 さすればそれを糧として、私も、また読者諸兄姉も、さらに深く歩を進めることができるやもしれず、そこに新たな発見が生まれるかもしれない。
 というのも、著作を私が上梓するのは、単に自説を開陳するだけでなく、次の段階へのステップを期待してもいるからだ。拙著によって最終的にすべてが解き明かされているわけではなく、新たな課題の提示も常におこなっているのは、基底にそういった心構えがあるゆえとひとこと申し上げておきたい。
 批評とは評価であるべき、というのが私の考え方であって、もし評価に値しないのであれば、無視・黙殺すればよいだけのことだ。その程度のものは、あえて騒ぎ立てずとも、いずれ消えて行く。少なくとも私はそう信じて、常にそうしている。本書についても、ぜひそういったスタンスからのご意見を期待したい。(※現在執筆中の新刊の「あとがき」より)

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