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2016年5月30日 (月)

柳田国男の「日本人」と、南方熊楠の「縄文人」

 柳田は『山人考』で、縄文人と弥生人の弁別峻拒をおこなった。すなわち、縄文人を「山人」と呼び、渡来した弥生人を「平地人」とした。さらに注目すべきは、平地人を「日本人」と規定したことであって、そこから「日本」も始まったと主張した。
 もしもわが国の民俗学がここから展開発展したとするなら、おそらくは今とはかなり異なる地平に立ち至っていると思われるのだが、残念ながら柳田はこの説を継承させず、『遠野物語』や『山の人生』などで見られるように、うやむやにしてしまった。
 これについて谷川健一氏は南方熊楠の批判によると指摘しているが(『白鳥伝説』)、それは理由の一つに過ぎないだろう。実際に熊楠の批判めいた論述を見ても、論陣は脆弱で、決して柳田が持論を捨てなければならないほどの説得性はない。熊楠はもっぱら「縄文人」の概念に拘泥しており、その血脈はその後も継承されて脈々と生き続けているのだと指摘している。その行間には、熊楠自身が縄文人の血脈を受け継いでいて、それが傍証でもあるかのように仄めかしている。当人の存在が論拠であっても、とくに私は不都合とは思わないが、万人を説得するには不適当であるかもしれない。谷川氏が穿ちすぎたのも熊楠への強い共感が前提となっているように思われる。
 柳田は『山人考』で発した「日本および日本人概念」を捨てる必要はなかったのだ。その後の考古学や民俗学の成果が教えてくれたように、縄文から弥生に切り替わったのは、まさに「人種」が切り替わったほどの変化であって、また現代に続く弥生文化・弥生人はそれ以前の縄文文化・縄文人とは画然している。顔貌も体型も、骨格そのものさえも大きく異なるのは当然として、稲作主体となったことによる食生活の変化だけでは理由にならない大きな文化的変化である。この事実を明瞭に解くのは人種・民族の入れ替わり以外にありえない。そして新たな人種・民族が突然この地に誕生することはないのであって、他の何処からか移り来る以外にありえない。
 そうであるならば、当初に柳田が指摘したように、弥生人こそは海の向こうからやってきた人々であって、彼らによって稲作は持ち込まれ、それまでこの地で暮らしていた縄文人は駆逐されたのだ。東へ追いやられた縄文人は蝦夷と呼ばれ、西へ追いやられた縄文人は熊襲や琉球になった。──しかしいわゆる「まつろわぬ民」、すなわち従うことのなかった人々は東西の辺境へと追われたが、多くの人々は恭順し、入り交じって暮らす道を選んだ。
 そして中央部を制圧した弥生人が日本人となり、彼らが建国した国が日本国(やまとのくに)となったのだ。その国王をオオキミ、ミカド、スメラミコト等々と様々に美称尊称することになる。そしてここに「日本建国」が成った。現日本人である私たちのほとんどは、その子孫である。
 それでも縄文人の一部は都市部に入り交じることもなく畿内各地にも残留して、土蜘蛛や隼人等々と称呼されて隷属した。南方熊楠が風貌体型ともに縄文人のそれであることはおそらく当人の言う通りで、紀伊熊野地域には辺境であるが故に縄文人の血脈が本来に近いままに存続していたのだろう。
「ご承知の通り紀州の田辺より志摩の鳥羽辺までを熊野と申し、『太平記』などを読んでもわかるように、日本国内でありながら熊野者といえば人間でないように申した僻地である。」と熊楠は『履歴書』で書き記している。
 その後の民俗学のフィールドワークでもそう考えられる風貌・体型の人たちが少なからず現存することがわかっている。地祇(国津神)系の氏族は、そうして残留した縄文人の血脈であるだろう。
 民俗学では「常民」と呼ぶことによって一括した概念設定をしているが、常民にも様々あって、日本列島の多様な環境(風土・気候など)を考えればそう簡単でないのは自明である。仏教伝来以前の原始信仰を見ても、海人の信仰、常民の信仰、山人の信仰それぞれが複雑に絡み合って発展している。神道の概念が確定するのは、神社の発生と定着を待たなければならない。原始道教を取り込み継承した陰陽道とも不可分の関係である。日本および日本人の概念とは、こうした精神風土の上に構築されたものだ。(『ニギハヤヒ』より)

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