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2016年3月24日 (木)

諏訪と縄文の関係は遠くて近い

二〇一六年・申年、六年に一度の「諏訪大社の御柱(おんばしら)祭」である。正式には「式年造営御柱(みはしら)大祭」という。全国でも最大級の盛大な祭りだ。
 諏訪大社は、諏訪湖を挟んで上社(かみしや)の前宮(まえみや)・本宮(ほんみや)、下社(しもしや)の春宮(はるみや)・秋宮(あきみや)、計四社で構成されるが、四社一括で「諏訪大社」と呼ばれる珍しい祭祀形態を採っている。しかも四社のうち三社は、拝殿のみで、本殿がない(唯一ある本殿も、本来のものとは異なる)。では、何を拝んでいるのかというと、拝殿の向こうにある山や樹木や岩石を拝んでいる。これは神道以前の、最も古い信仰形態だ。その祭りが、いまなおますます盛大なのだ。

 諏訪には弥生時代以降に成立した神道と、それ以前に縄文時代から連綿と続く土俗信仰が共存併存、あるいは融合混合して、なんとも不可思議な状態にある。
 諏訪信仰は長野県諏訪に鎮座する諏訪大社を総本社とし、諏訪大社から分祀勧請された諏訪神社は全国に約五〇〇〇社に上る。わが国屈指の大信仰だ。
 日本全国の市町村の数は一七四二だから、おおよそその三倍の数になる。一つの市町村に平均三社ということで、つまり、あなたの住んでいる町にも二つや三つの諏訪神社があるはずなのだ。──その諏訪信仰が〝縄文〟を継承しているのなら、私たちは常に〝生きて脈打っている縄文文化〟と身近に接していることになる。これは、ちょっと新鮮な感覚ではないか。

 諏訪大社の主祭神は建御名方神(タケミナカタノカミ)、および八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)であるが、この二神は記・紀以後の神であり、信仰の本質は弥生の軍神・モレヤ神、および縄文の精霊神・ミシャグジ神であるとされている。少なくとも記・紀の成立より古くから信仰されている神であり、この神こそが、弥生・縄文の昔からこの地の神=地主神であったのではないかとされる。つまり、諏訪信仰とは二重構造になっていて、現在の信仰からそのまま縄文時代の信仰にまでつながっているということである。
 たとえば中沢新一氏は「諏訪大社が縄文の古層につながっている」と述べていて、梅原猛氏は「諏訪の御柱(おんばしら)(祭)と新宮のお燈祭りと青森のねぶた祭りは縄文の祭りだと思う」と言っている。しかしはたして両氏の言葉は鵜呑みにして良いのかどうか、実はかなり根本的な問題も孕(はら)んでいるのだ。

 そもそも「諏訪社」という呼び名自体が実は比較的新しいもので、縄文とは無関係である。少なくとも「延喜式神名帳」(九二七年成立)の頃には諏訪社という呼称はなかった。
 それ以前の、たとえば奈良時代には延喜式にあるように「南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)・二座」であったのであろうし、さらに遡って飛鳥時代や弥生時代にははたしてどのような呼び名で、どのような信仰形態であったのか明らかではないが、確かなことは、はるか昔には前宮のみで、下社も本宮もなかったということである。その時に、はたして「御柱(おんばしら)祭(さい)」がすでにおこなわれていたのかどうか、現在の諏訪信仰の何が縄文時代まで遡れるものなのか。

 いずれにしても御柱祭で立てられる「柱」は、大地に穿つ巨大な楔(くさび)のようだ。それを各社四本、四社合計で十六本も何のために打ち込むのか、いまだに定説はない。
 また七十五頭もの鹿の生首を神前に供える「御頭祭(おんとうさい)」(上社・前宮の神事)などの特殊神事が非神道的であることはよく知られている。これもまた〝縄文〟のイメージをいやが上にも喚起させる。狩猟を暮らしの糧としていた縄文人が、いかにも神々に捧げる供物に相応しい。農耕の神と、狩猟の神とは、さながら正反対の性格であるかのようだ。確かに、血まみれの鹿の頭部を供物として祭壇に供えるというのは、私たちが抱いている神社や神道の清浄なイメージとは相反するものである。一般に抱かれている神社や神道のイメージを象徴するのは、「稲」と「水」と「塩」だろう。これは、神棚に供える最も基本的な神饌であるから、当然といえば当然である。
 しかし諏訪では、神事そのものが血生臭いものであって、そう簡単に〝神道的解決〟はさせてくれない。御頭祭の起源は不明であるが、奈良時代には鹿ではなく、人間が生け贄とされていたとの説もある。江戸時代初期になっても、生け贄は一部継承されていたらしき証言もある。つまりそれほど古い話ではなく、近代においてなお非神道的な祭事がおこなわれていたのだということになる。もしそれが縄文時代からの風習であるならば、生け贄は二二〇〇年以上に亘っておこなわれてきたことになるが、はたして事実はどうなのか。
  御頭祭に直接つながる御柱祭の起源も不明であるが、平安時代よりは前とされる。つまりこの祭りの起源は、それ以上遡れないのだ。御柱が、もし縄文時代からの風習であるとするなら、こちらも二六〇〇年以上続けられていることになる。いずれも、仮に中断があったとしても、起源はそれだけ古いとしなければ縄文と連結することはできないのだ。
 そして実は、最大の問題がそこにある。
 諏訪地方一帯は、縄文時代にはすでに大集落を形成していたのは間違いない。発掘される数々の縄文土器や、ひときわ優れた造形の土偶のいくつかは、縄文文化の一つの中心地であったことを如実に物語るものだ。
 しかし、現在人々が諏訪に対して抱いている〝縄文イメージ〟は、つくられたイメージであって、現実の諏訪縄文とは別物である。時代の連結・連続を確実にとらえずに、イメージのみで「諏訪」に向かうという〝暗雲〟が覆っていて、なかなか本質が見えないのが実情だ。「万治(まんじ)の石仏」が岡本太郎によって絶賛されたことも誤解の一つであるだろう。これによって万治の石仏があたかも諏訪における縄文的造形の象徴のようになってしまった。万治三(一六六〇)年に造られたものであるから、縄文時代の終焉から二〇〇〇年以上も過ぎた時代に造られたものが、はたして縄文の血脈を引いているのかどうか。

 縄文時代とは、約一四〇〇〇年前から紀元前六世紀頃までの時代である。
  弥生時代はその後の、紀元前六世紀から後三世紀であり、三世紀後半からは古墳時代になる。
 諏訪大社との関係は不明だが、「縄文のビーナス」(国宝)と呼ばれる土偶が同県茅野市米沢の棚畑遺跡から発掘されて(一九八六年)、俄然注目を浴びることとなった。さらに「仮面の女神」(国宝)までもが発掘されて(二〇〇〇年)、もはや「縄文文化」を語るにはこの地域を真っ先に探訪しなければならないくらいになっている。
 諏訪湖を中心とするこの一帯には、まぎれもなく大規模な縄文文化が存在した。おそらくは、東は八ヶ岳山麓から、西は木曽(きそ)界隈まで、北は安曇野(あづみの)から南は飯田辺りまで。──これらの縄文文化は、どうやって諏訪信仰に連続したのだろう。つまり諏訪と縄文が連結するには、紀元前六世紀頃から奈良時代までのおおよそ一千年間の歴史の空白を埋める必要がある。
 そしてその手掛かりは、間違いなく存在しているはずである。それは〝諏訪信仰〟〝諏訪の神〟であろう。
  ひと昔前までは、「民俗学」を評して「日付のない学問」として歴史研究の範疇に入れないという悪弊が歴史学会を支配していたが、今そのようなことを声高に唱える者はまさかいないだろう。同様に、「民族信仰」も歴史研究では軽視されて来たが、実はこの視点・解明なくして歴史研究などありえないのだと近年では広く認識されるようになった。「諏訪」の解明はまさにこの二つの視点こそが鍵となるだろう。

 諏訪大社の大祭、六年毎におこなわれる御柱祭はその勇壮さで有名であるが、由来や意義はいまだに謎である。さまざまな解釈はあるものの、定説となるには至っていない。
 しかし四隅に屹立(きつりつ)する白木の柱は、その異様な景観から古代の特異な信仰を想起させるものだ。しかも諏訪地方ではすべての神社や石祠・小祠に至るまで御柱が立てられている。その総数は、おおよそ三〇〇〇本と言われる。その不思議な光景は誰もが刮目(かつもく)せずにいられない。

 本書は、謎に満ちた諏訪信仰を解き明かすために五つの視点を設定した。
「諏訪」「御柱」「モレヤ神」「ミシャグジ」「縄文」である。この五つの語彙は、解き明かすためのキーワードでもある。

 諏訪の章は「聖地」からのアプローチによって、建御名方神の正体を解き明かす。
 御柱の章は「忌柱(いみばしら)」からのアプローチによって、心御柱(しんのみはしら)・ウッドサークルなどの〝封印〟を解く。
 モレヤ神の章は「神籬(ひもろぎ)」からのアプローチによって、神体山・守屋山の謎に迫る。
 ミシャグジの章は「石神」からのアプローチによって、磐座の本来の意味を探る。
 縄文の章は「自然崇拝」からのアプローチによって、土偶の正体を究明し、諏訪の真相を解き明かす。

 さあ、それではあなたの知らない「諏訪」へとご案内しよう。

(『諏訪の神』まえがき)

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