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2016年2月19日 (金)

古神道こそは神社神道の本質

「古神道」について誤解を糺(ただ)しておかなければなりません。
  現在一般に古神道というと「復古(ふっこ)神道」のことをいうようになっています。しかし「復古神道」は、本来の「古神道」ではありません。幕末から明治初期に誕生した、いわば「新しい神道」です。西洋哲学や近代宗教学などを踏まえて、維新運動に連動する形で再整備されたものです。それまでのおおよそ一千年間で全国的に蔓延した神仏習合を廃して(神仏分離)、それ以前の神道の古形に返そうというものです。
 とくに本居宣長を始めとする国学を基盤とした信仰体系・思想体系は、多くの外来宗教を踏まえて「復古」志向で再整備されました。
 また、明治政府によって一種の国教と定められたことで、信仰であるよりも儀礼として体系化・組織化されました(同時代に、いわゆる「教派神道」が十三派生まれて、復古神道系とされていますが、これらのほとんどはいずれも個人の教祖を戴く教団であって、神道とは本質的に別のもの、似て非なるものです。神道に「生身(なまみ)の教祖」は本来的に存在し得ないからです)。
 明治政府の政策によって古来の信仰のエッセンスはかえって見えにくくなり、あたかも宗教や信仰ではないかのようにもなりつつあります。しかしこれは本来の神道の姿ではありません。むしろ儀礼等は後から生まれたもので、まずは信仰心があったればこそのものでしょう。畏怖心や崇敬心から思わず手を合わせる、あるいは拝礼する、その素朴で真摯な心情、これが原点でしょう。
 その上で、より厳粛に、より崇敬心を表現するにはどのようにすれば良いかと工夫して、そうして整備されて来たのが儀礼です。ですから、まず儀礼があって、崇敬心は二の次というなら本末転倒なのです。神社や聖域を拝する際には、参詣の手順や形が大事なのではなくて、まずは気持ちなのです。その上で、より厳粛な作法もあればあるに越したことはないというものなのです。

 六世紀に仏教が伝来し、神道は大きく変わりました。仏教に対抗するために、たとえば社殿を建築し、神像を造り、有職故実を整備し、それまでの信仰形態とは大きく様変わりします。
 現在私たちが「神道」として認識しているのはこれ以後の、いわば「神社神道」なのです。
 しかもその後約一千年間に亘って、右に述べたように神道と仏教は「習合(混淆)」が進み、異なる宗教が混じり合うという奇怪な状態になります。 
 このような〝変身〟以前の神道、つまり仏教伝来以前の神道が「古神道」です。(略)古神道は現在の神社神道にも受け継がれており、いわば「本質」であると言えます。(『神道と風水』まえがき より)

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