« 蘇我氏の出自を隠した日本書紀 | トップページ | 新刊「まんが古事記 愛と涙と勇気の神様ものがたり」講談社 好評発売中 »

2015年6月 6日 (土)

諏訪と物部

 長野県の守屋社は、諏訪大社本宮との関わりがあるとも言われているが、真相は不明だ。諏訪大社本宮は拝殿のみで本殿を持たない古式の神社として知られている。奈良県の大神神社や埼玉県の金鑽神社と同様、背後の山そのものを御神体として祀っている。大神神社は三輪山、金鑽神社は御室ヶ嶽(金華山)であるが、諏訪大社本宮の神体山は驚くべきことに「守屋山」という(神社側では宮山とのみ称している)。
 また、諏訪の社家は大祝と神長とがあり、神長官は守矢氏であって、歴代社家である。このような事実関係から、上伊那郡高遠町の守屋社は諏訪の奥宮という説もあるが、残念ながら地元では蔑(ないがし)ろにされている。地元の人からの伝聞ではあるが、守屋社に雨乞いをし、叶わぬ時には石祠を転がり落としたり、はなはだしきは小便をかけたりしたという。また、ここには諏訪地方の神社の特徴である「御柱(おんばしら)」がない。どんな神社にも御柱を建ててしまう諏訪人の気質を考えると、たとえ小祠といえども関わり深い神社に御柱がないのはむしろ違和感を感じさせる。
 諏訪大社の創建は物部守屋敗死よりはるかに古いのは言うまでもないが、おそらくは石上系の物部氏族が神主として加わり、その氏祖を祀ったことによると思われる。諏訪神・タケミナカタは怨霊神であるので、相通ずる中央への反骨心を守屋の怨霊に体現させたのかもしれない。
 なお、神社ではないが、長野県を代表する寺院の善光寺も物部守屋に由縁の伝承がある。本堂は一〇八本の柱によって支えられているのだが、すべて円柱の中で唯一大黒柱のみが角柱で、これは別名「守屋柱」と呼ばれている。柱の下には物部守屋の首が埋設されていると伝えられる。また、善光寺の本尊は、そもそも物部守屋が蘇我馬子の寺を破壊して、仏像を難波の堀江に棄てたものを(本書十九頁参照)本田善光なる者が拾い上げて持ち帰ったのに始まると伝えられる。──ただ、善光寺は十一回も全焼しているので、どこまで事実か判然しないが、少なくとも長野という地域が物部と何らかの関わりを持っていたであろうことは教えてくれる。(『怨霊の古代史』河出書房新社刊 より)

|

« 蘇我氏の出自を隠した日本書紀 | トップページ | 新刊「まんが古事記 愛と涙と勇気の神様ものがたり」講談社 好評発売中 »

歴史」カテゴリの記事

氏神」カテゴリの記事

神社・神道」カテゴリの記事

コメント

長野とご縁があり昨年夏から度々足を運んでおります。沙田神社や千鹿頭神社にいつか行こうと思っておりました。
守屋神社も調べてみます!
物部氏は神道・蘇我氏は仏教で対立してましたね。麻賀多神社・千葉の台方にある神社の社務所のノートに物部氏を調べてここに来ましたという書き込みをみたことがあります。何か関係してるんですかね?
森羅万象10巻まで本がでてます。
なかなか面白いですよー。
ご参考まで。
松本市の四柱神社・深志神社・筑摩神社は行きました。ミシャクジ神は初めて聞きましたので調べてみますね。

投稿: 坂井 | 2016年3月27日 (日) 00時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/517692/56986777

この記事へのトラックバック一覧です: 諏訪と物部:

« 蘇我氏の出自を隠した日本書紀 | トップページ | 新刊「まんが古事記 愛と涙と勇気の神様ものがたり」講談社 好評発売中 »