« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »

2015年5月21日 (木)

蘇我氏の出自を隠した日本書紀

 乙巳の変に関する記述については、明らかに改竄の痕跡が見られるというのは定説になっている。とはいうものの、『日本書紀』という歴史書が全編に亘って改竄されているというわけではないのはもちろんだ。必要もないのに改竄するはずもなく、書紀が最古かつ最重要の文献の一つであることは論をまたない。
 それでは、乙巳の変に関しては何故改竄が必要であったのか。
『日本書紀』の編纂事業には長い年月を要している。その間、何人もの天皇や高位高官がこれに関与している。とすれば、当然のこととして、その人々の意向がそれなりに反映されることになる。
『日本書紀』が成立したのは七二〇年(編纂開始は六八一年)。この時の政治のトップは藤原不比等である。右大臣となって十二年、誰も不比等に逆らう者はいない、天皇を除けば実質的な独裁者であった。この人物がすなわち、最終検閲者ということになる。
『日本書紀』の改竄問題はその文体から解き明かされた。かつては純粋の漢文体であると考えられていたのだが、中には、純粋の漢文の語法や語彙とは言えないものが散見されると判明した。本来漢文にはありえない語法や語彙、すなわち日本風の語法や語彙が一部にみられるのだ。日本風の語法や語彙、これを「倭習」と呼ぶのだが、とくに乙巳の変についての記述は倭習が頻出している。編纂当初の原文は、おそらくは史部(ふひとべ)として起用した渡来系氏族の者によって書かれた純粋の漢文であるが、それから実に四十年近くも後に完成することになったため、加筆や修正には日本人の手が加わったと考えられる。
 不比等にとって、至上命題は「藤原氏の氏祖である中臣鎌足の美化」「乙巳の変・入鹿殺害の正当化」である。そしてそのために対抗措置・前提となるのは「蘇我氏を貶めること」である。
 蘇我氏の評価が下がれば下がるほど、その反動として中臣鎌足のおこなった行為は「英雄的行動」となる。
 これがもし、蘇我氏に正義があったとすれば、入鹿殺害は国家的大犯罪である。乙巳の変に大義はあった、中大兄皇子や中臣鎌足たちに正義はあったと、歴史書には記されていなければならない。鎌足の子息である不比等が改竄し、それを時の天皇である元明天皇が承認した。元明帝は、天智天皇(中大兄皇子)の皇女である。
(『怨霊の古代史』河出書房 より)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年4月 | トップページ | 2015年6月 »