« ショート・ストーリー 「私たちの望むものは…」 | トップページ | サッカーには哲学がない! »

2014年9月22日 (月)

日本人にとって「懐かしい風景」とは?

Ahaji


 多くの日本人が、懐かしく想う風景がある。
  小川を挟んで田畑が広がり、そこに点在する人家、そして田畑の真ん中のこんもりした森の中か、小高い山の麓には神社、すなわち鎮守(ちんじゆ)の森がある。いわゆる「里山(さとやま)」の風景である。
「村の鎮守の神様の きょうはめでたいお祭り日」
と唱歌に歌われたのはこの里山のある一日のものだ。
 幼い頃に里山で遊んだ記憶は、いまや少数派になりつつあるのかもしれない。しかし依然として里山の風景は、日本人の心の故郷であり、いわば原点である。私たち日本人は、この風景を想う時、切ないほどの慕情(ぼじよう)を掻き立てられるだろう。
 それにしても、なぜ私たちは里山をかくも懐かしく思うのか。実はそこにこそ、日本人の愛国心の秘密がある。
 里山の風景は、実は自然にできたものではない。過疎地の行く末を見れば一目瞭然だが、住む人がいなくなると、たちまち荒れ果てて、見るも無惨な状態になる。
 里山は日本人が長い年月をかけて造り上げた風景である。そしてそこに暮らす人々によって、絶え間なくメンテナンスされていればこそ、その「懐かしき姿」を保ち続けているのだ。
 私の叔父が終戦時に帰還する際、船が日本に近づくにつれて黒々とした陸地が遠望されて「ああ、日本へ帰って来たのだ」としみじみ感じたという。そう、日本の陸地は森林で覆われているので遠望すると「黒々と見える」のだ。それに比べて中国大陸や朝鮮半島はほとんど樹木がない(今は地域によっては植林がおこなわれているところもある)。ことごとく刈り取られてしまって、いわば〟禿げ〝状態であったという。刈り取った後に植林をせずに放置すると、いわゆる「砂漠化」が出来する。
 日本人は樹木を切った後に必ず植林するが、中韓ではそれをおこなわず、砂漠化が進んだ。彼の地は、船上から遠望すると白茶けて見える。これに対して日本の植林はすでに縄文時代からおこなわれており、中韓とは決定的に異なるところだ。
 現在確認できる日本の森は、九十九パーセントが植林によって人為的に造られたものだ。手付かずの原生林は日本列島にはわずか一パーセントしかない。つまり、この風土は、私たちの先祖が長年かけて造り出し維持し続けて来たものなのだ。わが懐かしき里山の風景も、そうして生み出され保たれている。
 そして里山の中心には、必ず鎮守の森、すなわち神社がある。氏神(うじがみ)神社や産土(うぶすな)神社こそは里山の中心だ。人々の生活サイクルは神社を中心にして営まれるのが古くからの形である。このうちに「いかなる神」のおわすかは各地様々であるが、そこに暮らす人々を見守る「神」が鎮座する。随神道(かんながらのみち)とは、こうして継承されてきた「古くて新しい暮らし」のことである。

|

« ショート・ストーリー 「私たちの望むものは…」 | トップページ | サッカーには哲学がない! »

神社・神道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/517692/60357074

この記事へのトラックバック一覧です: 日本人にとって「懐かしい風景」とは?:

« ショート・ストーリー 「私たちの望むものは…」 | トップページ | サッカーには哲学がない! »