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2014年6月28日 (土)

消えた寄居中学校

Yoriichuugaku四十数年前の写真です。
背景は埼玉県の寄居中学校校舎正面玄関。 私の母校です。
当時の教職員が一堂に会しています。
歳月が経過して皆さん面変わりしているので、アップロードしても差し支えないかと。 まあ、すでにみなさん定年退職しておられるし、すでに亡くなられたかたもちらほら。
名前のわかる先生は三分の一くらいかな。

この寄居中学校は、消滅しました。現在はもうありません。

同じ名称の中学校が一駅隣りにありますが、これはまったく別物。合併して移転した際に、校歌まで変えてしまったので、なんの痕跡もなくなってしまった。校歌さえ継承されていれば、出身校と言えたのだが、実に残念! どれほど年月が経過しても、校舎が建て替えられても、人が代わっても、「校歌」が母校たることの保証だろう。学校の長い歴史を断絶させる権利が誰にあるというのか。名称を継承するなら、校歌も継承すべきであった。さもなければ、まったく新しい校名にすべきだろう。

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2014年6月27日 (金)

サッカーには哲学がない!

600pxsoccer_ball_svg サッカーのコーチも務めているという剣道の師範が、
「サッカーには哲学がないんですよね」と言っていた。
「ただ自分勝手なだけで、困ったスポーツなんですよ」と。

剣道では、一本取った瞬間にガッツ・ポーズをすると、即座にその一本は取り消される。
勝って、奢らず。勝者は敗者を思いやる。──それが哲学だ。
ほんの一例に過ぎないが、「武道」にはそういった哲学が明確に備わっている。

これにに比べると、「スポーツ」というものは教育的にはまことによろしくない。
対戦相手をあざむき、審判をあざむき、勝ちさえすればいいことになっている!
スポーツには道理も美徳もまったくない。卑怯未練な奴がスポーツでは勝者になる!
潔(いさぎよ)いと敗者にさせられてしまう。

サッカー選手の反則は、ともすればコートの外では犯罪行為になるだろう。
しかも、反則を犯しても「やってない」とアピールするのが当たり前で、
審判にさえバレなければ「もうけもの」という思想!
こういうスポーツを学校でおこなってはならないだろう。
やるならば、どこか場末の無法地帯で、一般人立入禁止でおこなうべきではないのか。

サッカーはイギリスで生まれたが、
ケンブリッジ大学にもオックスフォード大学にもサッカー部はない。
「サッカーはワーカー(労働者階級)のものだから」
と、友人のイギリス人がかつて言っていた。
まあ、あの国は貴族階級と労働階級が一目瞭然、姿形で分かってしまうほど文化ギャップの顕著な国だからなぁ。

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2014年6月25日 (水)

怨霊神・物部守屋を祀る神社

▼守屋神社  福島県岩瀬郡岩瀬村大字守屋字守屋坂47
【祭神】天照大御神 菊理媛命 物部守屋連
▼守屋神社  福島県会津若松市湊町大字原字西山3269
【祭神】物部守屋大連
▼守屋神社  福島県会津若松市湊町大字平潟字夏狼ケ獄乙1477
【祭神】物部守屋大連命
▼大輿(おおこし)神社(通称・氏神さん 山梨県中巨摩郡田富町今福331
【祭神】守屋大臣
▼守屋社  長野県上伊那郡高遠町大字藤沢字片倉7165
【祭神】物部守屋大連
▼錦山(にしきやま)神社  岐阜県高山市江名子町368番地
【祭神】物部守屋大連命 (合祀)倉稻魂神 武甕槌神 天兒屋根神 經津主神 姫神 吉國社
▼波久奴(はくぬ)神社 通称・萩野(はぎの)神社  滋賀県東浅井郡浅井町高畑296
【祭神】高皇産靈神 (配祀)物部守屋大連
▼市杵嶋姫(いちきしまひめ)神社(村屋坐(むらやにます)彌冨都比賣(みふつひめ)神社の境内社) 奈良県磯城郡田原本町蔵堂426
【祭神】炊屋姫命 宇麻志摩遲命 (配祀)物部守屋連
▼弓削(ゆげ)神社  愛媛県南宇和郡城辺町緑
【祭神】物部守屋大連 (配祀)大雀命 伊弉諾命 伊弉册命 倉稻魂神 建速須佐之男命 櫛稻田比賣神 菅原道眞

 私の調べた限りでは、いずれの神社にも讃えるべき遺徳や神威は伝わっておらず、にもかかわらず守屋のみに限定して祀るということは「鎮魂」以外のなにものでもないということになる。
 なぜならば、生前の守屋に宗教的属性はほとんど見当たらないからである。
 信仰対象となるような事績も、慕われるような遺徳ある事績も見当たらない。むしろ「逆賊」として討伐・誅殺されたという記録ばかりが目立っている。
 しかしすでに指摘したように「逆賊」がもし事実であるならば神社に祀られることはなく、祀られているということは、遺徳・神威を讃えるためか、それとも怨霊の祟りを畏怖し鎮めるためかのいずれかなのである。
 すなわち“守屋神社”は、怨霊の祟り鎮めのために創建されたものである。祟りがあればこそ、慰霊鎮魂が求められるのであって、守屋社の存在はその証左である。
 もし彼が書紀のいうように「国家的大犯罪人」であるならば、この神社の存在理由を説明できないことになる。

(『怨霊の古代史』河出書房新社 より)

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2014年6月22日 (日)

鳥居が守る四天王寺

Shitennouju01 四天王寺(大阪)は、蘇我馬子の飛鳥寺(法興寺)とともに、日本最古の本格的な仏教寺院として知られている。
その草創の由来は『日本書紀』に記されているので有名だ。
蘇我馬子と厩戸皇子(聖徳太子)が物部守屋と戦った時に、四天王に祈願して勝利したというものだ。
厩戸皇子(聖徳太子)の草創を伝える寺は近畿一円に多数あるが、
実際に創建に関わったのは四天王寺と法隆寺のみ。
そしてその四天王寺は、巨大な石の鳥居で守られている。
しかも仏教寺院では最も重要な「西門」に鳥居はそびえる。

西方浄土は鳥居の彼方にあるのだ。

なお当初、四天王寺は玉造(大阪城付近)に建てられ、現在地へは593年(推古天皇元年)に移転。
旧地には鵲森宮(森之宮神社)がある。

四天王寺西門・大鳥居の謎を解くのは『怨霊の古代史』河出書房新社。

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2014年6月 4日 (水)

諏訪と物部

 長野県の守屋社は、諏訪大社本宮との関わりがあるとも言われているが、真相は不明だ。諏訪大社本宮は拝殿のみで本殿を持たない古式の神社として知られている。奈良県の大神神社や埼玉県の金鑽神社と同様、背後の山そのものを御神体として祀っている。大神神社は三輪山、金鑽神社は御室ヶ嶽(金華山)であるが、諏訪大社本宮の神体山は驚くべきことに「守屋山」という(神社側では宮山とのみ称している)。
 また、諏訪の社家は大祝と神長とがあり、神長官は守矢氏であって、歴代社家である。このような事実関係から、上伊那郡高遠町の守屋社は諏訪の奥宮という説もあるが、残念ながら地元では蔑(ないがし)ろにされている。地元の人からの伝聞ではあるが、守屋社に雨乞いをし、叶わぬ時には石祠を転がり落としたり、はなはだしきは小便をかけたりしたという。また、ここには諏訪地方の神社の特徴である「御柱(おんばしら)」がない。どんな神社にも御柱を建ててしまう諏訪人の気質を考えると、たとえ小祠といえども関わり深い神社に御柱がないのはむしろ違和感を感じさせる。
 諏訪大社の創建は物部守屋敗死よりはるかに古いのは言うまでもないが、おそらくは石上系の物部氏族が神主として加わり、その氏祖を祀ったことによると思われる。諏訪神・タケミナカタは怨霊神であるので、相通ずる中央への反骨心を守屋の怨霊に体現させたのかもしれない。
 なお、神社ではないが、長野県を代表する寺院の善光寺も物部守屋に由縁の伝承がある。本堂は一〇八本の柱によって支えられているのだが、すべて円柱の中で唯一大黒柱のみが角柱で、これは別名「守屋柱」と呼ばれている。柱の下には物部守屋の首が埋設されていると伝えられる。また、善光寺の本尊は、そもそも物部守屋が蘇我馬子の寺を破壊して、仏像を難波の堀江に棄てたものを(本書十九頁参照)本田善光なる者が拾い上げて持ち帰ったのに始まると伝えられる。──ただ、善光寺は十一回も全焼しているので、どこまで事実か判然しないが、少なくとも長野という地域が物部と何らかの関わりを持っていたであろうことは教えてくれる。(『怨霊の古代史』河出書房新社刊 より)

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