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2013年5月10日 (金)

■熊野三社の本来の姿とは

 熊野信仰は神仏習合の典型で、七世紀以降に進められた仏教との一体化はとくに那智でははなはだしかった。明治の神仏分離でたいぶ復元されはしたものの、それでも現代人を惑わせるだけの要素は残ってしまっている。
 なお、明治の神仏分離を〝人為的〟と非難する人もいるが、そもそも七世紀以降の数百年間におこなわれた神仏習合=仏教化こそが人為的であって、熊野信仰を仏教と習合する必要などなかったのだ。
 宗教研究者の一部に、神仏分離以前のありようをこそ研究すべきだとの主張があるのだが、それを言うなら、そのはるか以前の神仏習合以前のありようをこそ究明し研究すべきであるだろう。そして私が企図しているのはまさにその点にある。神仏習合以前、すなわち六世紀の仏教渡来以前の熊野の姿を復元させなければならない。それがなければいくら研究しても本質に至ることは難しいというものだ。
 熊野信仰の原点は、依り代としての川と滝と岩である。
 ここに仏教の入り込む余地はない。縄文から続く土俗信仰であり、古神道である。
 したがって本来の祭神も次のように各一神のみが正しい。

 ▼熊野本宮大社は、家都御子神。
 ▼熊野速玉大社は、速玉神。
 ▼熊野那智大社は、夫須美神。

 すなわち本質の研究は、これら三神についておこなうのが第一義となる。
 家都御子神は阿弥陀如来、速玉神は薬師如来、夫須美神は千手観音とする本地垂迹説などは、七世紀以後に誰かが勝手に付会したものであって、それ以前の熊野の由来や歴史とは何の関係もないと知るべきだろう。また、後から合祀された数多くの神々も、熊野三社の成り立ちとは無関係であろう。信仰の本質を知るためには、ここまで遡らなければならない。
 ちなみに、このことは全国の古社すべてについて言えることである。
 ただし、中世以降に、神仏習合がおこなわれてから後に勧請された神社についてはこの限りではない。神仏習合されたことを前提として信仰され、かつ勧請されたものであるならば、信仰の当初からそういう性質のものであるからだ。そういう新しい神も決して少ない数ではないし、私の研究対象とは無縁であるが、そこにも確かな信仰があるのは言うまでもないだろう。
 したがって、全国に約三〇〇〇社ある熊野神社も、その鎮座がいつかによって信仰内容は異なることになる。神仏習合が進行してからの勧請であれば、そのまま受容されたものだ。
 しかし、勧請鎮座が古くとも、本社に倣ってほとんどは神仏習合形態に変更されているので、その見極めが必要になる。神仏習合以前の勧請であるならば、本来の姿に戻さなければならないだろう。それが民俗信仰への真摯な態度というものだ。(『ニギハヤヒ』河出書房新社 より)

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