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2013年4月 4日 (木)

はるか古代から祀られている怨霊神

 そもそも怨霊を神として祀る信仰そのものは、はるか古代から連綿として日本人の心情に深く存在する。だから平安時代を画期とする必然性はまったくない。それを「御霊信仰」と名付けた者が勝手に区切ったにすぎない。すでに語彙・用語として定着しているので私も便宜的に用いるが、本質的には「平安時代に限定されない」のだということを承知しておいていただきたい。
 たとえば「天皇」という称号は天武天皇によって発案されたものだが、天武天皇より前に天皇に相当する大王は代々存在している。呼び名こそ異なるものの本質的に同じものである。現存する最古の歴史書である『日本書紀』では天武帝以前も天皇号を用いていることもあるが、それは書紀が天武帝以後に編纂されたものであるからにすぎない。時には天皇号と大王号が混在することもあるが、その場合は、より古い大王号であったと解釈すればよい。
 また、「日本」という表記は厩戸皇子によって発案されたものだが、それ以前に日本国はもちろん存在している。かつてはそれを「やまと」と読んだはずだが、いつの間にか「にっぽん」になった。
 同様に「御霊信仰」も、語彙は平安期に発案されたものだが、その概念に当てはまる信仰形態ははるか以前よりあるということだ。
「御霊信仰」という語彙を作り、ことさらに概念規定されたために、あたかもそれ以前には御霊信仰がなかったかのような誤解をもたらす結果となっている。歴史学を学ぶ人の中にさえ、それを信じている人が少なからずいるのだから概念語を作ることの功罪の典型かもしれない。(『怨霊の古代史』より)

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2013年4月 3日 (水)

「御霊信仰(ごりょうしんこう)」について

 御霊信仰(ごりょうしんこう)とは、日本独特の怨霊神への対応法のことである。
 理不尽な死、恨みが残る死となった者は「怨霊」になって、後々祟りや災いをもたらすと古来信じられて来た。ただ、その怨霊を手厚く祭れば、怨霊は守護の神に転化して、かえって幸いをもたらすと信じられた。これを朝廷が国家政策として初めて行なったのが平安初期のことだとされる。
 その年、都に疫病が大流行し、まさに猖獗をきわめた。上下を問わず死者は山為すありさまで、それが怨霊の祟りであるとされて恐怖が都を席巻(せっけん)した。
  そこで大々的におこなわれたのが御霊会(ごりょうえ)である。
  八六三(貞観五)年、神泉苑において、怨霊の祟りを鎮める祈祷が大掛かりに執りおこなわれた。御霊会が歴史的イベントとして公式の記録に登場する最初である。
  この御霊会は、早良親王をはじめとする六人の怨霊を鎮めるために行われた。これを六所(ろくしょ)御霊(ごりょう)という。
  御霊は、政治的に失脚し、かつ不遇の中に死んだ者が、生きている人に祟りなす怨霊のことであるが、とりわけ次の六人を六所御霊と呼んで特に畏れた。

  ▼崇道(すどう)天皇(早良親王)七八五年没。桓武天皇の弟。皇太子であったが、藤原種継暗殺事件に連座して、淡路へ流される途中乙訓寺で絶食して死去。
  ▼伊予親王  八〇七年没。桓武天皇の第三皇子で、母は藤原是公の娘吉子。大同二年(八〇六)、藤原仲成の陰謀により母とともに川原寺に幽閉され、服毒自殺。
  ▼藤原夫人(藤原吉子)  伊予親王の母。親王とともに自殺。
  ▼橘逸勢(たちばなのはやなり) 八四二年没。皇太子恒貞親王を伴健岑とともに擁立し、謀反を起こそうとした罪により捕縛。伊豆国配流となったが、途中遠江国板筑駅で病死。
  ▼文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ) 生没年不詳 筑前守の時、新羅人張宝高と交易を行い解任された。八四三年、新羅人と反乱を企てたとして伊豆に流罪。
  ▼藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ) 七四〇年没。大宰府に左遷されたことを怨み、弟の綱手とともに挙兵。藤原広嗣の乱。敗戦によって、弟ともども斬死。

  そこで朝廷は、神泉苑においてこれまでにない盛大な御霊会をおこなうこととした。当時の全国の国の数である六十六本の鉾を立てて、それを神泉苑の池に納めて厄払いとする。この催しが、発展して、かの祇園祭となる。京の最大のイベントである祇園・山鉾巡行は、神泉苑での怨霊祈祷がそもそもの出発であり由来である。祇園祭りは、正しくは祇園会というが、いわば御霊会の集大成なのである。京の町衆は年に一度、この祭りで怨霊の祟りを祓うのである。
  また、怨霊たちは御霊神社──上御霊神社(京都市上京区)・下御霊神社(京都市中京区)として祀られて、恒常的に鎮魂するものだ。もとは一つの神社であったが、平安京の鎮護のために上下それぞれに祀られるようになり、現在は先の六所御霊に、吉備真備と菅原道真を加えて八所御霊としている。(『怨霊の古代史』より)

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