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2013年1月19日 (土)

稲村公望著『黒潮文明論』 「海流の大動脈=黒潮」でよみがえる民族の血脈

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稲村公望著『黒潮文明論』
「海流の大動脈=黒潮」でよみがえる民族の血脈

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 “文明論”という雄大なタイトルゆえに、読む前から構えてしまう読者もいるかと思うが、実際はたいへん読みやすい論考だ。小論、随想、紀行、民俗学のフィールドワーク等々の多様なアプローチで、「海流の大動脈=黒潮」の意義に迫る。
 古代には、「海」こそは最も便利な交通交流の方途であって、陸上の道など及びも付かない速度と効率であったのは当然である。国家というものが「陸」をベースに営まれるのがある時からの歴史であるが、その以前はどうであったのかといえば、「海」によっていたのだ。
 たとえば国東半島(大分県)と伊予(愛媛県)と大島(山口県)は別の国として私たちは認識しているが、“海の民”にとっては一つの文化圏である。現在でもなお多くの姻戚関係がここで成り立っていることは、その証左であろう。瀬戸内海がこれら三国をへだてるという見立ては近現代人の通弊で、ひとたび海の視点に立てば、むしろ陸上よりも容易に往来できる単一の地域なのである。
 この視点をもっとダイナミックにとらえると「黒潮」になる。
「黒潮はさながら海中の大河であって、輸送船が機関を絞っても高速で走れる。」と著者は指摘する。
「帆船の時代なら尚更で、ペリー提督が江戸湾に入る前に琉米和親条約を結んだのも、西表島の石炭だけでなく、洋上の道としての黒潮に着目したからであろう。」
 そうなのだ。日本列島の東南海を北上する黒潮は、“偉大なる資産”である。私たちは古来、その恩恵に浴してきた。琉球・奄美こそは、黒潮そのものである。
 そして、黒潮に乗って神々もやってくる。
 神道の原型は縄文時代にあって、それは森であり山であり岩である。これを神籬、神奈備、磐座というのだが、本書はその信仰の本質に迫っている。「黒潮」は単に海の道であるばかりでなく、その先々で陸上の聖地をつなぐのだ。
著者は実に丹念に歩いている。開陳される民俗学の深い造詣には驚くばかりだ。
「御嶽(うたき)も堂(たん)も神社も、もともとは黒潮の滔々たる流れに往来を続けた、海神国の神々から生まれた兄弟姉妹の子孫を祭る社である。縄文以来、黒潮の道を往来した祖先崇拝の、堂や御嶽と鎮守の森こそが神社の原始の形態である。」
 私にとっても、これは年来のテーマである。

 しかし琉球・奄美も時代の洗礼を受けて、急激に本来の姿を失っている。
 昨年、私は久しぶりに沖縄へ行く機会があった。
「東京の有名建築家が建てた県庁の高層建築を見ながら、珊瑚礁の石垣に遠く及ばないコンクリートの粗雑な壁を蹴って、爪先を痛めたことがある。」
 著者の琉球・奄美への愛情は、転じて怒りに変わる。
 県庁ビルは私は何度も訪ねているためすっかり見慣れてしまったが、隣にそびえ立つ県議会ビルの威圧的なデザインはいまだに馴れることができない。著者にならって、私も蹴飛ばせば良かった。

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2013年1月 8日 (火)

イワクラとは何か

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「…イワクラとは何か。磐座、岩倉、石鞍などと表記されるが、単なる岩や巨石がすべて磐座というわけではない。「クラ」とは神の座であって、それだけ特別の岩であることが条件となる。神の依り代に相応しいと、多くの人間が感じること。それは古神道の依り代である「神奈備(かんなび)」や「神籬(ひもろぎ)」と同様だ。
 日本列島にはその地理風土の特性から山岳は数多いが、多くの山岳の中でも際立つたたずまいのものを神奈備と呼んで信仰する。神の山である。
 また、いたるところにある森や林のなかでも、特別の気配を込めるものを神籬と呼んで信仰する。神の森である。
 これらと同様に、他を圧するかのような岩、特別な力が加わったからこその姿・たたずまいと見える岩──それを磐座と呼んで信仰する。神の岩である。
  本書冒頭で紹介した神倉神社のゴトビキ岩は、海辺の平地・新宮を見下ろすように浮かんで見える。海抜八〇メートルの絶壁の、その天辺に鎮座する巨岩は、あたかも天空に浮かぶ星のようだ。この岩がもし天空より飛来したものであるならば、それに乗る者は神をおいて他にないだろう。たまたま神倉神社と呼ばれているが、ここが磐船神社という名で呼ばれていても何の不思議もないだろう。

 なお宇佐神宮の磐座のように、複数の岩が並列するために、その数に拘泥する説もあるが、不毛な議論であろう。宇佐神宮の御神体は、奥宮・御許山山上の三つの巨石である。これをもって宗像三神になぞらえる説があるが、付会にすぎない。
 宇佐の祭神が三柱であるのも、むしろ御許山の磐座三体に合わせたものと考えるべきだろう。おそらくは比売神のみの信仰であったはずで、後世に応神天皇と神功皇后が加えられたものだろう。もともとの宇佐の信仰にこの二神は関わりはないのに、あたかも最初から三神一組であったかの如く思わせるところに、むしろ陥穽があると知るべきだ。比売神の由来と、他の二神の由来とはそもそも時代がまったくかけ離れていて、合同で祀る必然はない。それが宇佐信仰の原型だ。

 山中に忽然と現れる巨岩を見て、古代の日本人は「何処からか飛来したのではないか」「天から降って来たのではないか」等々と考えて不思議はない。イワクラは神の乗り物なのだ。ニギハヤヒ降臨伝承の真相は、そういうところにあるのだろう。
 ニギハヤヒが天の磐船に乗って降臨した地は、河内国の河上の地(大阪府交野市)、そしてその後大和国(奈良県)に移ったと記されている。ということは、高千穂に降臨したニニギの天孫降臨説話とは別系統の神話であろう。
 この摩訶不思議な乗り物は、人知では飛ぶことなどありえない巨岩を飛んだとすることによって、神たる奇跡の象徴となしたのだ。他にまったく類例がないのは、この時この神の降臨が、それだけ特別であったことを意味している。この「事件」は、歴史の結節点なのだ。
「交野」の地は、後世に桓武天皇が郊祀(こうし)をおこなって〝天命〟を受ける場所となるのだが、ニニギの直系である桓武天皇が、なにゆえニギハヤヒの降臨地において〝天命〟を受けようとしたのか。そこには、天の磐船という神の乗り物が、天空より飛来したということに理由がありそうだ。」(『ニギハヤヒ』第一章より/河出書房新社)

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