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2012年12月28日 (金)

「太陽の道(レイ・ライン)」の真相…日神信仰を支える技術

■日神信仰を支える技術

 「太陽の道(レイ・ライン)」とは、一九七三年に写真家の小川光三氏が『知られざる古代太陽の道 大和の原像』を出版したのをきっかけに、八〇年にはNHKスペシャルで映像化されて広く一般に知られるようになったものだ。
 東の端である三重県には神島、そして伊勢の斎宮址があり、西の端の淡路島には伊勢の森・伊勢久留麻神社がある。
 この二つの「伊勢」を結ぶ東西直線上に、古代の祭祀遺跡や古い由緒をもつ神社が点在していて、共通点は太陽神の祭祀と、磐座(いわくら)・磐境(いわさか)である。
 長谷寺、三輪山、桧原神社(ひばらじんじゃ)、国津神社、箸墓(はしはか)、二上山などが同一線上に並び、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)命、倭姫命(やまとひめのみこと)といった女性祭祀者のイメージも共通する。すなわち太陽神の祭祀に深いかかわりをもった古代の「聖線」である。これが「太陽の道」と名付けられた由縁である。
 そしてこれらはすべて、北緯34度32分の東西に走る一直線のライン上にある。
 古代王朝の政治的演出の一環であったと考えられているようだが、地図や磁石のあるはずのない古代のことで、一体いかなる測量技術によったものか!
 NHKスペシャルで番組化されるまで、そのような事実が存在すること自体ほとんど一般には知られていなかったことが第一の理由であるが、またそれが「聖地」をチェーン・リンクしているといういかにもの意味合いから、突然の大発見であるかのように話題になった。
 いわく「未知の知恵が古代にあった」「神々の足跡にアプローチ」等々。
 小川氏は、門外漢の立場から偶然その事実にたどりついたわけで、その地道で真摯な努力には敬意を表したい。ただ、それ以後の採り上げられかたは、「古代にはまともな測量技術はなかった」との前提に立っていたのは残念である。わざわざ稚拙な手法で測量して、それを証左とすることによって「太陽の道」の神がかり性をいやが上にも強調し、これが一般にうけた。「現代でも困難な測量が、古代にこれほど正確におこなわれていた驚き!」という組み立てである。インカの石組み技術やイースター島のモアイ像、エジプトやマヤのピラミッド建築技術も同様だが、必要以上に技術の高度さを強調するのは真相を隠してしまう。
 この印象は、いまだに尾を引いている。
 すでに記したように、陰陽五行による観相は、四千年以前から「天文」を観測し「地理」を見極め、都市を造ってきた。たとえば地理風水の天心十字法は、はるかに離れた四カ所の山頂を直線でつないでクロスさせ、そのクロス・ポイントを明堂の中心とするものだ。測量というならば、この技術は基本中の基本であって、天心十字と尋龍(じんりゅう)点穴(てんけつ)ができなければ地理風水をおこなうことにならない。
 「太陽の道」は、小川氏も当初から指摘しているように「春分・秋分の日の出・日没ライン」であって、この線の上に宗教施設を設けるのは道教・陰陽道にとっては基本的な手法の一つである。しかもこのラインを見出すのは技術的にもさほど難しいものではなく、少なくとも大発見のように騒ぐようなたぐいのことではないのだ。繰り返しになるが、春分・秋分の日の日の出の位置と、日没の位置を直線でつなぐと、そのライン上に聖蹟が数多く存在する。この位置の割り出しは、測量術の基礎である。ちなみに、夏至の「太陽の道」もあることは、すでに述べた。鹿島神宮と諏訪大社本宮をむすぶ東西ラインである。
 また、北緯34度32分の東西ラインは、淡路島が終点ではない。
 淡路からさらに西にラインをたどると、倉敷市金光町に金光教の本部もある。広島県佐伯には天上山山頂。他にも神社や遺跡は少なくない。
 またさらに遙か西へ海をも越えてたどって行くと、西安市つまりかつての長安の都もある。西安市は、北緯33゚39'~34゚44'にあるので、ほぼ同じライン上である。
 しかし何度も言うが、これは地理風水の常識である。古くから言われているように、「土地が肥沃で快適に暮らせる場所は、北緯30~40度の間」ということになっている。太陽を拝するのであればその中心線の35度あたりになるのは当然で(つまり夏と冬の中間点・春分秋分点)、そこが畿内のように山岳地帯でなければ、街造りも当然この一帯になるだろう。東漢氏は、それを熟知していたからこそ、それまで未開の辺境であった飛鳥の地を自分たちの拠点として選んだ。飛鳥がそれまで手付かずであったことは、彼らにはむしろ驚きであったのではないか。
 ちなみに近代都市はもう少し北寄りの緯度ラインに集中している。ロンドン、パリベルリン、モスクワは50度付近なので海流のサポートがあるとは言ってもかなり寒い。北京、ニューヨークは、日本でいえば青森辺りの緯度になる。近代文明は、より勤勉であるべく、快適さを犠牲にする宿命なのかもしれない。
 「太陽の道」が示すものは「古代から人類は、より快適な場所の見出し方を知っていた」という厳然たる事実である。それに比すれば、現代人はむしろ「分からなくなっている」のかもしれない。自然を見なくなったこととも関係があるだろう。
 私たち現代に生きる者は、古風な羅盤や魯班尺に頼らずとも、PCソフトやGPS(衛星波羅針盤)で簡単に線が引けてしまう。そのため、「古代においてはそれは不可能であったろう」との推測をしがちである。しかし決してそんなことはない。
 聖地を知る能力、聖地を見出す技術は、現代人よりはるかに長けていたことは、全国各地の神社、すなわち古社・延喜式内社の存在地点が証明している。(中略)「太陽の道」はオカルトでもなんでもなく、きわめて科学的な、しかも初歩的な天文地理技術の一つの成果である。
 太陽信仰は、星の信仰の中では最も基本的なもので、その証である太陽の道は、最も素朴な信仰の形である。周知のように「星の信仰」は他にもあって、北極星や北斗七星(北辰信仰・妙見信仰)、天(あま)の河(七夕信仰)などが日本では代表的なものだが、当然のことにこれらにまつわる地理は各地にあって、それぞれに天文と直接間接に関わる理由がある。
 太陽の道で重要なことは、ラインそのものの存在ではない。なによりもラインを正確に見出す技術と、聖地のポイントを定めることにある。他のどこでもなく、大神神社も箸墓もそこにある。そしてその理由こそが陰陽道である。飛鳥に蟠踞する東漢氏が深く関わっていたことは当然である。
(『ツクヨミ・秘された神』河出書房新社 より)

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