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2012年10月25日 (木)

聖徳太子は斑鳩宮から通勤したか

 斑鳩に宮の造営を始めたのは六〇一年、完成してこちらへ移住したのは六〇五年(推古十三年)冬十月である。厩戸皇子は三十一歳、上宮一家全員とともに斑鳩宮へ移った。
 厩戸皇子の執政は、事実上はここまでであったと私は考えている。三十一歳で事実上の引退である。
 斑鳩宮は、推古天皇の皇居である豊浦宮、小墾田宮のある明日香から直線距離でもおおよそ十五キロメートル離れている。道のりにすれば二十キロメートルほどになるだろうか。当時の交通事情や服装を考えれば「通勤」するのはまず無理だろう。
 仮に徒歩で通うとすれば、時速五キロメートルとして片道四時間である。往復八時間。これで通勤するのもちろん現実的ではない。
 皇子のみが馬に騎乗して早駆けであれば、一時間ほどで往来するのは不可能ではない。『聖徳太子伝暦』には、驪駒(くろこま)に乗って、毎日早朝小墾田宮に出勤し、執務を終えると斑鳩へ帰るので、あわただしい日々であったと記されている。そういうことにしなければ成り立たないのだということを、伝暦の著者もわかっていたのだ。
 乗馬のかけあし駈歩であったとすれば時速二十キロメートル、これで走り続けて片道一時間。整備された馬場での事例だが、千四百年前の斑鳩・小墾田間の道は、毎日馬で走り抜けることができるように整地整備されていたのか。その場合は、皇子の郎党は毎朝夕、ハーフ・マラソンをおこなったことになるが、まさかこの説を信じる人はいないだろう。伝暦がこの説を採ったのは、他に説明のしようがないからだ。
 千四百年前の奈良の道は、ほんの一部の石畳を除けば、ほとんどが剥き出しの土の地面であっただろう。雨が降ればぬかるみ、馬が頻繁に往来すれば荒れ果てる。(『怨霊の古代史』より)

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