« 万葉集の歌に詠まれた「ツクヨミ」 | トップページ | 死して神となる日本人 »

2012年9月 2日 (日)

大化改新の実態

 大化改新とは名ばかりのもので、政策施策のほとんどが蝦夷・入鹿の継承であった。しかも律令制の根幹は骨抜きにされている。独自の政策は「近江遷都」と、百済救済のための出兵いわゆる「白村江の戦い」という外交政策くらいである。しかも近江遷都は壬申の乱の終結とともにわずか六年で再び飛鳥へ戻され、その後二度と近江が都になることはなかった。そして白村江の戦いは歴史的な大敗を喫したとはあまりにも有名だ。原因は、当事者が外交も軍事もまったくわかっていないことにあった。蘇我氏が四代に亘って国政を担い積み上げてきた富国強兵を、天智天皇と中臣鎌足は一夜にして雲散霧消させてしまったのだ。次の天武天皇によって再び回復することになるのだが、入鹿を謀殺してまで実現した大化改新の実態はこんなものだ。
(『呪術と怨霊の天皇史』新人物往来社 「第二章 蘇我入鹿」by戸矢学 より)

|

« 万葉集の歌に詠まれた「ツクヨミ」 | トップページ | 死して神となる日本人 »

歴史」カテゴリの記事

神社・神道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/517692/54202459

この記事へのトラックバック一覧です: 大化改新の実態:

« 万葉集の歌に詠まれた「ツクヨミ」 | トップページ | 死して神となる日本人 »