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2012年8月 3日 (金)

日本最古の文字記録である『先代旧事本紀』の重要性


『先代旧事本紀(旧事紀)』が偽書扱いされてきたのは、基本的には序文と本文内容との矛盾である。

 簡単に言えば、序文において聖徳太子と蘇我馬子によって編纂されたと記しながら、本文には太子や馬子の死後の事象が記されている。

 これをもって本居宜長以来この方、先代旧事本紀は偽書の汚名を被ることとなったのだ。

 しかし近年その資料価値に再評価の機運があって、とくに『国造本紀』は代わるもののない独自の資料である。

 にもかかわらず、満足な全訳さえいまだないのが現状だ。これはひとえに偽書扱いにかかるものである。

 近年の再評価のポイントは、序文のみが後世の偽作であって、これを除外すれば、との観点である。

 しかし、本当にそうなのだろうか。個々の字句にわたる詳細な検討は本書の役割ではないので省略するが、私たちが見ているのは後世の「写本」である。原典は存在しない。それは記・紀も同じ条件だ。

 ただ、写本の成立年代が比較的新しいという弱点はある。写本は写本にすぎないという主張の仕方もあるのだが、やはり時代が下るほど写本の評価は下がることになる。その理由は、原本が失われる可能性が低くなるからであり、写本自体の必要性も同時に低くなるからである。

 歴史的に貴重な資料が失われるのは、主に政治的混乱が惹起された時である。

 とくに政権が交代する時に多くの貴重な資産が消滅した。

 神社や寺院は比較的その災厄から逃れることができているが、それでも戦火に巻き込まれた例は少なくない。正倉院が無傷で残ったのは奇跡とも言えることなのだ。

 記録上、日本で最初の歴史書は「太子と馬子が編纂した」と『日本書紀』に記されている『天皇記』『国記』『記』である。

 そしてこれらは、乙巳の変、いわゆる大化の改新で蘇我本宗家が焼き討ちされて焼亡したとされる。

 私は『旧事紀』の元になった資料、あるいは原典こそは、蘇我本宗家が滅亡した際に焼失したとされる『天皇記』『国記』『臣連伴造国造百八十部并公民等本記(おみむらじとものみやっこくにのみやつこももあまりやそとものをあわせておおみたからどものほんき)』であろうと考えている。もしくは、まさにそのものであったかもしれない。

 たとえば記・紀にない「国造本紀」こそは『臣連伴造国造百八十部并公民等本記』の一部ではないかと考えている。

 かの六四五年の蘇我邸焼き討ちの際に、原典の一部が救出されたと『日本書紀』に記されているのだ。

「蘇我蝦夷等誅されむとして悉に天皇記・国記・珍宝を焼く、船史恵尺(ふねのふびとえさか)、即ち疾く、焼かるる国記を取りて、中大兄皇子に奉献る。」

 船史恵尺なる人物が焼け落ちる蘇我邸から持ち出して、中大兄皇子に献上したと記録にある『国記』こそは、『先代旧事本紀(旧事紀)』の原典そのものかもしれない。

 記・紀がそうであるように、現在私たちが目にすることのできる『先代旧事本紀』は「写本」である。あるいは「編集本」であるかもしれない。

 これをもって、記・紀より遙かに後世の成立とするのは、研究する者として正しい姿勢とは言えないだろう。

 写本につきものの異動や誤記は当然であるが、それ以外に後世の加筆が混在しているために、著しく価値を下げてしまったが、本文のかなりの部分は記紀より以前の、我が国最古の文字記録であると私は考えている。(『ニギハヤヒ 〈先代旧事本紀〉から探る物部氏の祖神』河出書房新社刊 より)

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