« 2011年5月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年6月25日 (土)

韓国紙論説「高まる嫌韓、韓国ブランド低迷は、我々が品性下劣なのが原因ではないだろうか」

           (転載→日出づる処の名無し : 2008/09/20(土) 07:24:19 ID:gu6SPcdM )

■国民品位なくして国家ブランドなし

    ▽ソース:ソウル新聞(韓国語)(2008-09-18 04:27)
    http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20080918030001
    http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=110&oid=081&aid=0001972941

  北京オリンピックで現われた「嫌韓」ムードは、私たちに大きな憂慮を抱かせた。多くのメディアや専門家らが、この現状の原因を分析した。まずは、韓国で起きた聖火リレー反対の動きが嫌韓ムードに火をつけた最大の原因だ、という意見がある。また、インターネットに撤き散らされた韓国に関する虚偽情報が主犯だという分析や、経済成長で亢進した中国人の民族主義が、競争者である韓国への敵対心を呼んだのだ、という主張もある。

  いずれも一理ある。しかしこのような仮説は、嫌韓の原因を政治的な理由に求めたり、中国内部の問題に帰着させている点で、安易な面がある。もしも嫌韓現象の起きる場所が中国だけならばそういう解釈に首肯もできようが、事態はそんなに簡単ではない。最近の報道によれば日本でもモンゴルでも、またベトナムなど東南アジア諸国でも、韓国と韓国人に対する感情がますます悪くなっているようだ。したがって、私たちが憎まれる理由を敢えて外部に求めようと努力するのではなく、腹を括って自分たちの欠点から先によく見る必要があると思う。

  筆者の場合、今年の夏休みで東南アジアのリゾートを訪れた際、それまでよくしてくれた従業員たちが、筆者が韓国人だと分かったとたん口元に帯びていた笑みをすっかり無くして、急に冷たく振舞うようになるという驚くべき経験をした。後で分かったことだが、ホテルの部屋やレストランで目にした韓国観光客たちの言行は、醜態を超えて蛮行の域に達していた。

  ホテルの部屋でキムチやコチュジャン入りのラーメンを作って食べても後片付けをしない。フロントを大人数で取り囲み、大声で「早く早く(パリパリ)」を叫んで怖い雰囲気を醸成する。格式あるレストランに野球帽をかぶり短パンに袖なしシャツを着て入る。子供たちが大声を出して走り回っても叱らない。「ストリートガール」の同行入室を阻む従業員を罵る、等々。

  外国人に対する基本的マナーの不在は、外国でだけ起こることではない。韓国に住むアジア人勤労者や留学生たちに対する一部韓国人たちの無礼は、普通人の想像を超えている。筆者が勤める大学で学ぶ何人かのアジア人留学生たちの証言によれば、品物を買おうと商店へ入った際に、たちまち丁寧でない言葉で「おい、手を触れるな、あっち行け!」と怒鳴られた経験をした人が、一人や二人ではないという。皆が言うわけではないが、一部の韓国人のこのような行為は、一番近い友達を最大の敵にする、本当に愚かな売国行為だと言わざるを得ない。

  李明博大統領が8月15日(光復節)の祝辞で、国家ブランド委員会の設置計画を発表した。国家ブランド価値を引き上げるのが重要な課題だという点には共感する。低い国家イメージのせいで、韓国企業が良い品物を作っても相応の価格設定ができず、国民は外国に多くのお金を支払っても相応の待遇を受けることができないのが現実だからだ。国家ブランド評価機関であるAnholt-GMIが発表した韓国の国家ブランド価値は国内総生産の37%に過ぎず、日本の224%に比べて惨憺たる水準だ。国家順位では39ヶ国中の32位だ。低評価された国家ブランド価値を引き上げるためには、国家イメージを改めようとする国家レベルでの努力が必要だ。これは、広告や広報、イメージ操作だけで可能だと思っていては決して成功することができない。

  地に落ちている韓国の国家ブランドを高めるための解法は、方法論ではなく内容で、そして国外ではなく国内で先に捜さなければならない。国民の品位を高めずして国家のイメージが高くなるわけがない。だから、いま韓国の青少年たちに一番必要な教育は「英語没入教育」ではなくて「礼節没入教育」ではないかという考えがしきりにする。もうすぐ設置される国家ブランド委員会は、まさにこうした点を念頭に置いて運営すべきであろう。

【金ムゴン・東国大学新聞放送学科教授】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月 8日 (水)

三輪明神縁起──「由緒」より

「当神社の神体山三輪山に鎮り坐す御祭神大物主大神は、世に大国主神(大黒様)の御名で広く知られている国土開拓の神様でありまして、詳しくは倭大物主櫛甕魂命と申し上げます。古典の伝えによりますと、神代の昔少彦名命と協力してこの国土を拓き、農、工、商、すべての産業開発、方除、治病、禁厭(まじない)、造酒、製薬、交通、航海、縁結び等世の中の幸福を増進することを計られました人間生活の守護神であらせられます。
後にこの神様は、御自らの御思召しによりまして、その御魂(幸魂、奇魂)をこの三輪山(三諸の神奈備)に永くお留めになり、それ以来、今日まで三輪山全体を神体山として奉斎しております。それ故に、神殿を持たない、上代の信仰の形をそのままに今に伝えている我国最古の神社であります。
この三輪の地は古く大和の文化の発祥の地で政治、経済、文化の中心地でもありました。三輪山麓を東西に流れる初瀬川の水路の終点に、日本最古の市場であります海石榴市が八十のちまたとして開け、又、南北に走る日本最古の産業道路である山の辺の道と共にこの三輪の地は交通の要所ともなったのであります。
第十代崇神天皇の御代には文化も全盛を極め、更に中古からは大和国の一の宮となり、二十二社の一つとして上下民衆の厚い信仰を集めてまいりました。又中世に於ては「三輪流神道」と申します特殊な宗教哲学が生まれ、上古以来の信仰に一つの組織と哲学とを添えることになりました。
この三輪山は昔から倭青垣山、また三諸山、神岳(かみやま)、神山(みわやま)、などと申しまして、円錐型の周囲十六粁(四里)、面積350ヘクタール(約百万坪)の秀麗な山であります。古くから万葉集をはじめ色々な歌集に詠われ、山そのものが神殿であり、神霊がお鎮まりになるという所謂御神体山として崇ばれて参りました。又、古来、このお山の中心をなすものは古杉でありまして、「みわの神杉」と申し大変有名であります。『枕草子』の中で清少納言が「やしろはすぎの御社、しるしあらむとをかし」と云っておる程ですから、当時は「すぎの御社」と申してこのお山の杉がいかに有名であったかがうかがわれます。
三輪山をしかもかくすか雲だにも心あらなむかくさふべしや(万葉集)
いまつくる三輪のはふりの杉社すぎにしことはとはずともよし(金槐集)
杉か枝をかすみこむれどみわの山神のしるしはかくれざりけり(千載集)
味酒を三輪の祝がいはふ杉手触りし罪か君に遇ひがたき(万葉集)」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年10月 »