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2011年3月 8日 (火)

加藤さんの氏神

「源頼義に仕えた藤原景道が、加賀介に任じられました。
 これを栄誉として、「加賀の藤原」、すなわち「加藤」と名乗ったのが始まりです。全国の加藤さんのご先祖です。
 加藤清正も加藤嘉明も、皆さんここから発しています。
 当時の官職は、国司を「守」と称して、「介」はその次、ナンバー2になります。つまり加賀国の国司の次官ですね。ただ、「守」は現地に赴任しないのが通例で、「介」は実質的なトップです。
 景道は、斎藤氏と同族で、利仁の流れを汲む血統です。したがって加賀の地は、利仁以来の藤原の本貫地ですから、その介となるのはさぞ誇らしいことであったのではないでしょうか。
 そんな由縁から、加賀一宮である白山比咩神社は、加藤氏始祖にとって特別な思いがあったと思われます。
 遠祖・藤原利仁は敦賀を拠点としていましたから、越前一宮・気比神宮に特にゆかりがあります。
 したがって、加藤氏はこの二つの一宮に由縁します。
 景道の子孫を称する加藤清正は、日本の歴史上「最も有名な加藤さん」かもしれません。
「虎退治」でも知られますが、その武名は高く、信長・秀吉・家康のもとで多大な功績を挙げて、一代で大大名にまで出世します。
 肥前熊本藩の初代藩主として尊崇され、没後は加藤神社に祭神として祀られています。
 後世、加藤神社はハワイに分祀建立され(明治四四年)、さらに朝鮮・京城府(現・ソウル)にも分祀建立されました(大正三年)。
 分祀が国外のみというのは不思議な感じがするかもしれませんが、清正の徳を慕う人たちの意志が結実したものです(京城府の加藤神社は、第二次大戦後、残念ながら廃祀される)。
 清正とともに「賤ヶ岳七本槍」の一人として名を馳せた加藤嘉明も、伊予松山藩藩主を経て、陸奥会津藩藩主となります。
 また、嘉明の孫の明友が、祖父・嘉明の功績ともどもに評価されて水口藩藩主となりますが、それを記して神社を建立します。(中略)加藤と名乗って永年月が経過してもなお、名流・藤原の血統であることは誇りであったに違いありません。
 また、東京の多摩に鎮座する加藤神社は、武田勝頼の家臣、上野原城主であった加藤丹後守景忠を祭神として祀るものです。清正は、尾張の出自で、もとは武田の家臣であったとされます。そのことからも、同じ加藤を名乗る由縁は確かな根拠があるのかもしれません。(以下略)」(『氏神事典』河出書房新社 より)

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