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2011年3月28日 (月)

★北向きの鹿島神宮は何を示唆するか

「鹿島神宮の神宝は「十握剣(とつかのつるぎ)」である。なんと、271㎝もの長さの直刀で、茨城県で唯一の国宝に指定されている。宝物館で常時展示されているので誰でも見ることができる。十握剣は、初めて見る者を必ず瞠目させ圧倒する。
 三種の神器の一つである草薙剣は熱田神宮の本殿に厳重に納められていてもちろん一般に見ることはできない。その代用とされる宮中の神器も同様である。須佐之男命がヤマタノオロチを退治した際にその尾の中から獲たとされるものである。
 そしてその尾を切り裂いた、つまりヤマタノオロチを退治した須佐之男命の愛用の剣こそは十握剣である。鹿島神宮のものがオリジナルか否かは不明であるが(石上神宮の七支刀がそれであるとも云われる)、工芸品としても第一級のものであるのは国宝として指定されていることでも明らかだ。
 しかし、ヤマタノオロチの体内から出てきたものが三種の神器となっていて、須佐之男命が用いたものがここにあるのだとすれば。これは本末転倒ではないだろうか。
 そしてなによりもここ鹿島神宮の神宝となっているのが謎めいている。鹿島神宮は、藤原氏の氏神なのである。
 奈良時代この方、日本の実質的な支配者であるとも言われる藤原氏。
 その原点は、日本人なら誰もが知っている歴史的な政変「大化改新」で鮮烈なデビューを飾った中臣鎌足(なかとみのかまたり)である。一族の始祖である鎌足が、中大兄皇子に取り入って大化改新で活躍したことに始まる。
 天智8年(669)に藤原姓を賜り、以後天皇の外戚ともなり、一族で朝廷の上層部を占有し続ける。奈良、平安はもちろんだが、明治以降も権力の中枢にいた。近衛、九条、一条、冷泉なども藤原一族である。氏神社として奈良に春日大社を造営し、平城京における神道祭祀をも独占した。
 中臣家は常陸鹿島の出自で、鹿島神宮が元々の氏神である。十握剣は大化改新で鎌足が用いた剣ではないかというまことしやかな説もあるが、まんざら根拠がない訳でもない。
 もしこの剣で、蘇我入鹿の首を刎ねたのであれば、ヤマタノオロチは蘇我入鹿、または蘇我氏という仮説も成り立つ。入鹿の血痕が検出できて、DNA鑑定できたらおもしろい。
 鎌足は大化改新で突然歴史の表舞台に登場するが、辺境の地・鹿島を中央につなげる糸が見当たらない。
 鹿島神宮の分祀による鹿島神社は全国で918社に上る。 
 鹿島神宮は、神社としてはきわめて珍しいことに真北を向いている。神社は通常風水によって「子坐午向」に造られる。したがって真南または真東を向いているもので、その理由が太陽信仰にあることは明白だ。神道に言うところの「八百万の神々」は、そこに根源がある。太陽がコアとなっていればこそ、いわゆる「自然崇拝」や「精霊信仰」が成立する。地上のすべての生きとし生けるものは太陽の恵みなくしては存立しない。だからアマテラスオオミカミは太陽神であり、神社の圧倒的多数がアマテラスを祀っている。
 しかも、神社のほとんどが本殿に神の依り代として「円形の鏡」を置いている。正円の鏡は、その形はもちろん、輝きという意味でも太陽を模している。つまり「アマテラス=鏡=太陽」という構図が成立するという訳だ。
 しかし「北向きの神社」はきわめて少数だ。全国に八万社以上ある神社の中でおそらく百社に満たないのではないだろうか。……(以下、略)」(『日本風水』木戸出版 より)

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2011年3月23日 (水)

福島県よりの緊急アピール  首都圏のために福島県が壊滅する

福島県よりの緊急アピール──首都圏のために福島県が壊滅する
(平成23年3月23日)※神青協 災害対策委員会 掲示板より転載させていただきました。

~首都圏の電気の3分の1は福島原発が供給している事実~
此の度の東北地方太平洋沖地震で、放射能洩れの危機に陥っている東京電力の福島第一・第二原子力発電所は、福島県の浜通りに位置しています。またこの地域には「広野火力発電所」がありますが、いずれも東京電力の発電所で、東北電力の施設ではありません。
こ の2基の原子力発電所と火力発電所で発電された電気は、全て関東へ運ばれ、首都圏の方々が利用します。地元福島県ではこれらの発電所で作られた電気は一切 利用されていません。首都圏の電気の実に3分の1は福島県で作られており、首都圏の産業や都会の快適な生活を支えているのは福島県の発電所という現実があ ります。
 この大震災の影響で原発の送電がストップしたことにより、首都圏では「計画停電」が実施されています。首都圏の住民は、無計画な「計 画停電」に翻弄され苦労を強いられているのも事実です。しかし、停電どころか今にも最悪の事態を迎えかねない原発を抱える福島県民からすれば「一体誰のた めに我々は犠牲になっているのか、その程度の混乱は我慢すべきでないのか」と声を大にして言いたいところを皆我慢しているのです。
福島県では、国 が指定した原発より半径20キロの避難地域はもとより、30キロの屋内避難地域からも住民の県外避難が続いています。ところが、この圏内の行方不明者の捜 索や瓦礫の片付けなど全く手つかず状態で、国の指示に従って屋内避難地域に留まる住民や、取り残された弱者にはほとんど支援の手が差し伸べられていませ ん。更に、この圏外に住む福島県民も風評によりガソリンが入らない状況で、私たち県内の人間さえ支援に出向くことも出来ません。私たち福島県民は、安全と される30キロ圏外のいわき市のほとんどを始め、福島市、郡山市、白河市とその周辺、更には会津地方に至るまで日々発表される環境放射線量の測定値と風向 きに神経をとがらせ、家では換気扇も回せず、放射性物質の吸入や付着を避けるために外出は極力避け、家の中でじっと息をひそめ、街はゴーストタウンと化し ています。今のこの状況が続けばやがて食料も枯渇するばかりか、放射能汚染による見えない恐怖という経験したことのないストレスに絶え間無く苛まれ、精神 的に変調を来す事態に陥りかねません。
しかしながら、報道を見聞きする中には、首都圏の計画停電に不満を述べたり、「被災地に電気を送るためだか ら我慢します」という見当違いの発言が多く見受けられます。そればかりか、ネット上の「福島県で使う電気を発電する福島県の原発が壊れたために、東京の人 間が不便を強いられるのは迷惑」といった無知無理解で軽率極まりない意見には怒りさえ覚えます。
東京電力が計画停電を行っているのは、首都圏への 供給電力が不足する事態となり、消費電力が供給電力を上回る、最悪突然の大停電を避けるために予め時間と区域を決めて停電を行っているのです。自分のとこ ろ(首都圏)の電気が足りなくなっているから自分たちが我慢しているだけなのです。この重要な点をマスコミは何故大きく報道しないのでしょうか。首都圏の 人々のために遠く離れた福島県に建設された原子力発電所の事故により地元福島県がこれだけ苦しんでいる現実を、何故しっかり伝えようとしないのでしょう か。
マスコミは「福島は危険」「放射線は身体に悪影響」「福島県民は放射能被害を避けて県外避難」「農畜産物や水道水が放射線に汚染されて深刻な 事態」を強調する報道を続けています。後付で「このレベルでは身体に害はありません」と言うだけで、パニックを抑えるなら言う順序が逆ではないでしょう か。「放射線の数値が通常より若干高い値を示していますが、体に影響のある数値ではありません。各地の数値は~」と言うのが報道の仕事ではないのでしょう か。
首都圏で「放射線が怖いから雨合羽を買いました」「マスクを買いました」「とろろ昆布を買いだめしました」「関西へ避難しようと思います」 と言っている方がTVに映っていました。放射線が怖い?何キロ離れているというのでしょうか。それでは私たち福島県民はどうしたらいいのでしょうか。あな た方が今まで40年間も利用してきた電気を供給し続けてきた原子力発電所を作ったために今回の事故が起こった事はご存知なのでしょうか?いつでも逃げられ るようにガソリンや物資を買いだめですか?私達福島県民はガソリンさえ手に入らず、逃げたくても逃げられない状態なのです。もっと言えば、ガソリンや軽油 がないので救急車もバスも、救援物資を運んだトラックも動かない。灯油がないから暖もとれない。遺体の火葬はおろかゴミの焼却さえ出来ない。仮に救援物資 を運んだトラックが福島県の安全とされる地域の近くまできても「放射線が怖いから」という理由で引き返している現状です。
現在観測されている放射線数値は人体に全く問題のない数値です。レントゲンやCT、温泉の方がよっぽど高い数値を示しています。
仮 にこの事態が収束して、普通の生活に戻ったしても、今度は風評被害が間違いなく起こります。現に福島産のホウレンソウや原乳から基準値より高い濃度の放射 性物質が検出されたことであっという間に福島県内すべてで出荷停止という事態となり、生産農家、酪農家は悲嘆にくれています。専門家の知見によれば、現状 のレベルでは摂取しても、子どもを除いて全く健康に害を及ぼさないと断言しているというのに。
福島県の人間というだけで放射能が怖いから宿泊を断 られたり、女の子は奇形の子どもが生まれるから結婚出来ない、福島産の野菜、果物、米、魚、牛乳その他多くの産物を食べればガンになるなどという風評被害 がもう出始めています。国はもちろんですが、全国の方々には福島県の置かれている立場にご理解を頂くとともに、放射線に対する正しい理解をもって風評被害 がこれ以上広まらぬよう、原発の被災地福島県の復興をバックアップして頂きたいと、ここに強くアピールする次第です。   (福島県神社庁副庁長 丹治正博記)

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2011年3月22日 (火)

さあ、今夜は福島の酒を呑もう!

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行きつけの店には福島の酒はないので、買い込んでウチ呑みすることにした。買ったのは、大七の純米・生もと一升と、奥の松の特別純米四合。この界隈ではかなり知られた酒屋で、品揃えもなかなかなのだが、福島県産の酒はこれしかなかった。これは冷蔵室に入っていたから無事だったが、棚展示のものはほとんど崩れ落ちて割れてしまったそうだ。その後も余震がくるたびに瓶同士がぶつかって一斉にカチャカチャカチャカチャ音を立てるので「恐怖です」と言っていた。

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2011年3月13日 (日)

心よりお見舞い申し上げます

この度の東北地方を中心とする大規模震災において
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

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2011年3月 8日 (火)

加藤さんの氏神

「源頼義に仕えた藤原景道が、加賀介に任じられました。
 これを栄誉として、「加賀の藤原」、すなわち「加藤」と名乗ったのが始まりです。全国の加藤さんのご先祖です。
 加藤清正も加藤嘉明も、皆さんここから発しています。
 当時の官職は、国司を「守」と称して、「介」はその次、ナンバー2になります。つまり加賀国の国司の次官ですね。ただ、「守」は現地に赴任しないのが通例で、「介」は実質的なトップです。
 景道は、斎藤氏と同族で、利仁の流れを汲む血統です。したがって加賀の地は、利仁以来の藤原の本貫地ですから、その介となるのはさぞ誇らしいことであったのではないでしょうか。
 そんな由縁から、加賀一宮である白山比咩神社は、加藤氏始祖にとって特別な思いがあったと思われます。
 遠祖・藤原利仁は敦賀を拠点としていましたから、越前一宮・気比神宮に特にゆかりがあります。
 したがって、加藤氏はこの二つの一宮に由縁します。
 景道の子孫を称する加藤清正は、日本の歴史上「最も有名な加藤さん」かもしれません。
「虎退治」でも知られますが、その武名は高く、信長・秀吉・家康のもとで多大な功績を挙げて、一代で大大名にまで出世します。
 肥前熊本藩の初代藩主として尊崇され、没後は加藤神社に祭神として祀られています。
 後世、加藤神社はハワイに分祀建立され(明治四四年)、さらに朝鮮・京城府(現・ソウル)にも分祀建立されました(大正三年)。
 分祀が国外のみというのは不思議な感じがするかもしれませんが、清正の徳を慕う人たちの意志が結実したものです(京城府の加藤神社は、第二次大戦後、残念ながら廃祀される)。
 清正とともに「賤ヶ岳七本槍」の一人として名を馳せた加藤嘉明も、伊予松山藩藩主を経て、陸奥会津藩藩主となります。
 また、嘉明の孫の明友が、祖父・嘉明の功績ともどもに評価されて水口藩藩主となりますが、それを記して神社を建立します。(中略)加藤と名乗って永年月が経過してもなお、名流・藤原の血統であることは誇りであったに違いありません。
 また、東京の多摩に鎮座する加藤神社は、武田勝頼の家臣、上野原城主であった加藤丹後守景忠を祭神として祀るものです。清正は、尾張の出自で、もとは武田の家臣であったとされます。そのことからも、同じ加藤を名乗る由縁は確かな根拠があるのかもしれません。(以下略)」(『氏神事典』河出書房新社 より)

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2011年3月 5日 (土)

ドナルド・キーン インタビュー〈ある作家の死に託された日本のことども〉

Keene

三島由紀夫との出会いを中心に、日本との深く長い関わりについて私がインタビュー。
古い記事だが、歴史の一つの証言として記録する。

「ドナルド・キーン インタビュー〈ある作家の死に託された日本のことども〉」
全5p/週刊Qtai1983.11/10

                        DonaldLawrenceKeene1983.pdf へのリンク

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