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2011年2月 6日 (日)

天守閣と記さず、天の主の天主閣とした信長…

「天主閣は近江坂本より高くせよとの仰せでございました」
「さもあろう。御屋形様は一番でなければ気が済まぬゆえ」
 天守閣という建築様式は、光秀の発案になるもので、近江坂本城で初めて築造されたものである。落成披露に招かれた吉田兼見はそのさまに驚嘆して「驚目しおわんぬ」と日記に書き記している。また、宣教師ルイス・フロイスも、「この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった」と記している。
 信長が安土城築城に当たって坂本城を意識し、より高く聳える天守閣を望んだのは当然のことであるだろう。
「──ただ、御屋形様は天守閣と記さず、天の主の天主閣であると仰せになられましてござりまする」
「天主、とはデウスのことではないか。そもそも吾が天守閣と名付けたは、天は守る、の意なるぞ。天主では、天の主だ。それなら天主閣は、天の主の居る所となって、そはさながら社寺のようではないか」
 これはもはや城ではない。建屋としては最も高き所に神は住まいするとの意味であろうが、ならばその神とは誰のことか。天の主と称するつもりなのか。
「日向守様、お声が高うござりまする。…なにとぞ、なにとぞお平らに」
(『天眼…光秀風水奇譚』河出書房新社 より)

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