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2010年11月27日 (土)

神名「ヒルコ」の由来が示す歴史的大事件

 ヒルコ、もしくはそれに近い発音の神名はまぎれもなく伝承されていたのであろう。しかしそれに蛭の字を与えれば、誰もが禍々しい姿を想像するだろう。そのゆえに、蛭のように骨のない異様な肉体で、歩くことも立つこともできない不具者としてイメージさせて、海に遺棄することで締めくくる。
 さしずめ「誤りの神話」はここで終わりであって、「正しい神話」が始まると言っているかのようだ。その区切りの存在がヒルコなのだ。ヒルコを遺棄することによって、新たに正しい神話が始まることになる。
 しかし「誤りの神話」とは何で「正しい神話」とは何か。これが神話でなく歴史であるならば、革命が起きて別の新たな国家がスタートしたかのようである。
 こういった神話構造には必ずなんらかの意図が伏在している。そうでなければ、右に述べたような記述を冒頭部分に持ってくる必要がない。素直に第一子から優れた神であって何の不都合もない。
 もし革命ともいうべき歴史的大事件があったとするならば、具体的に書くのがはばかられる内容であったと考えるのが自然というものだ。だから「神話」という衝撃緩衝材を用いた、と。
 また、神といえども一度は誤りを犯す、ということのみが言いたいのであれば、それを「蛭」にまで貶める必要はない。おぞましくも凶々しい存在として登場させる底流に、正体不明の「敵意」を感じるのは私ばかりではないだろう。流して棄てなければならないなにものかがあって、神話ではこの一節をもって切り捨てて、そこから新たな建国神話を開始しなければならなかったのではないか。
「もう一つの建国神話」──そう呼ぶべきものが先にあって、ヒルコとはその象徴なのではないか。『古事記』が忌避しなければならない真相が、ヒルコの由来にはあるのではないか。そしてヒルコには、別の文字が相応しい本来の姿があったのではないか。
 それが判れば、「もう一つの建国神話」も解明されて、神話=歴史を一本化するために隠されなければならなかった真相も明らかになるのではないか。
(『ヒルコ 棄てられた謎の神』河出書房新社 より)

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