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2010年10月24日 (日)

丹党の氏神は金鑚神社(かなさなじんじゃ)

丹党の氏神は、埼玉県児玉郡神川の金鑚神社(JR八高線・丹荘駅)。
社伝では、「日本武尊東征の折、御姨倭比姫命より賜った火鑽金火打石を御室山に収めて」それに由来するとなっている。
当社には本殿がなく、拝殿のみで、背後の神体山そのものを拝礼するという原初の信仰形態だ。
古代、秩父地方は銅の産出で有名であったが(和銅開珎)、鉄や丹の産出も際立っていた。
それが山を拝むことにつながったものだろう。

丹党発祥の系譜についてはいくつかの説がある。
『武蔵七党系図』では、宣化天皇の曾孫多治比古王を祖とし、その子孫・多治比(丹比)氏が武蔵国に居着いて丹党になったとするが、その系図自体に疑問がもたれている。
現在では、紀国造家より発したという説が有力だ。
丹生系図によれば、丹生都比売の祝家となった大丹生直丹生麿の後裔・丹貫主峯時が丹党の祖となる(この後、武蔵守・多治比氏の子孫を一族に迎えて丹比としたか)。

丹党は、古代より秩父地方から群馬にかけて大いに栄えてきたが、
その力の源泉は産出される豊富な資源にあった。
奥州藤原が金を産出したのに対して、秩父平氏が銅、そして丹党は文字通り「丹」を掌握することによって力を得た。
「丹(に)」とは辰砂のことで、水銀と硫黄の化合したもの。
すでにわが国では弥生時代から採掘されていた。
丹党は、丹生神社(丹生都比売)を祀ることで一族の結束をもはかった。
この一帯には各地に祀られて、その中心が金鑚神社である。

金鑚の字は後世のもので、古くは金佐奈と記される。
これは「金砂」に由来するものだろう。
ちなみに常陸の金砂神社もやはり丹の謂われをもつのもので、
「かなさな」と「かなすな」は元は一つと思われる。
ただ、金鑚神社をはじめ、この一帯の丹生神社は祭神を丹生都比売から変えてしまったところが少なくない。
奥秩父の両神神社も、元は丹生明神と呼ばれていたが、社名も祭神も変わってしまった。
丹の産出が尽きたことと関わりがあるだろう。

『氏神事典』河出書房新社 より

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