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2010年10月26日 (火)

大化改新の実態は、蝦夷・入鹿の継承

 大化改新とは名ばかりのもので、おこなった政策施策はほとんどが蝦夷・入鹿の継承であった。しかも律令制の根幹は骨抜きにされている。独自の政策は「近江遷都」と、百済救済のための出兵いわゆる「白村江の戦い」という外交政策くらいである。
 しかも近江遷都は、壬申の乱の終結とともにわずか六年ほどで再び飛鳥へ戻されて、その後二度と近江が都になることはなかった。
 そして白村江の戦いは歴史的な大敗を喫したことはあまりにも有名だ。原因は、当事者が外交も軍事もまったくわかっていないことにあった。蘇我氏が四代に亘って国政を担い積み上げてきた富国強兵を、天智天皇と中臣鎌足は一夜にして雲散霧消させてしまったのだ。次の天武天皇によって再び回復することになるのだが、入鹿を謀殺してまで実現した大化改新の実態はこんなものだ。

『怨霊の古代史』河出書房新社 より

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