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2010年1月26日 (火)

新刊『怨霊の古代史』まえがき全文(123夜)

★まえがき──飛鳥の旅へ

  古代の大和飛鳥といえば、穏やかでのどかなイメージが湧くかもしれない。
 今でも飛鳥は「日本人の心のふるさと」として、古代史愛好者のみならず、年若い女性たちにも人気のエリアだ。その風景は訪れる人の心を和ませる。
 それがなおかつ千数百年前であるならば、どんな様子だったのだろうか。稀に馬に乗る者があっても、人々の暮らしはほとんど徒歩で成り立っていたはずで、静穏なことは近現代と比較すべくもないだろう。
 私自身も何度となく飛鳥を訪ねているのだが、その度に「また来よう」と思いを新たにする。この土地は、日本の原風景と言えるかもしれない。もしもまだ訪れたことのないかたは、ぜひ飛鳥への「小さな旅」をお奨めしたい。私が初めて飛鳥を訪ねた時は、地元のかたのお勧めで自転車(レンタサイクル)で村内を廻った。乗用車で走り回るほどの広さでもなく、かといって歩いて散策するにはちょっと広い。まさに自転車がちょうどいいのだ。
 葛城古道まで足を伸ばすと、また少し趣が異なるが、それもまたちょっとした小さな旅にはお奨めだ。葛城氏や蘇我氏の時代を彷彿させる風景が今もなお残っている。
 そもそも「アスカ」という呼び名の語源は、清浄な地を意味する「スガ」に接頭語の「ア」が付いたものだ。だから明日香や阿須賀など様々な表記のアスカが全国各地にある。その地域の清浄神聖な場所がアスカと呼ばれているのだ。だからアスカには神社が建てられている例が少なくない。
 なかでも大和国(奈良県)の明日香(飛鳥)は特別で、ここには古代の宮都(皇居・首都)が営まれて、百年余にわたって統一国家ヤマトの中心地であった。この時を「飛鳥時代」という。
 ちなみにアスカというヤマト音に「明日香」という漢字を充てたのが最も古く、その後奈良時代に「地名は好字二字」とするように通達がなされて「飛鳥」に代えたものだ。言うまでもないが飛鳥は音読みでは「ひちょう」、訓読みでは「とぶとり」であって、「あすか」とは読まない。大和を「やまと」と読ませるのと同じで、日本固有の語彙、すなわち和語である。明日香の枕詞が「飛ぶ鳥」であったことから選ばれたものだ。

 しかし飛鳥という時代は私たちのイメージとはだいぶかけ離れていて、実は朝廷での権力闘争が最も熾烈であった時代でもある。
 おおきみ大王(天皇)の権力構造や政治体制がいまだ定まっておらず、その後継を巡って実力行使、すなわち殺し合いがおこなわれるのも珍しくなかった。
 とくに蘇我氏が台頭し、権力を一手に掌握した時代であり、また蘇我氏を滅亡させた時代でもある。飛鳥という場所も時代も文化も、蘇我氏を抜きにしては存在しえないものだ。
 その興亡は日本史上きわめて重要で、その後のあらゆる事象の雛形がここにはあると言えるかもしれない。後世の藤原道長や平清盛の「わが世の春」にも匹敵する栄耀栄華を蘇我氏は獲得していた。しかも、それはたった一夜にして消え失せる。『平家物語』があるならば『蘇我物語』があって当然と思える事態であったのだ。
 とくに最後の一夜──いわゆる「乙巳の変」は、中大兄皇子と中臣鎌子により、蘇我入鹿が謀殺されたもので、やり口も無惨きわまりない。詳しくは本文で解説するが、私たちの感覚に馴染まない方法でこの事件は成し遂げられている。
 わが国最初の国史『日本書紀』は、それらのちなまぐさ血腥い事件の数々を巧みにこと糊塗している。この時代の政権に君臨する人は、必ず誰かの流血が前提になっているのだが、その結果にはあえて深入りしないようにしているかのようだ。そこには、編纂を主導した藤原不比等の強い意志が感じられるが、「歴史は勝者がつくるもの」なのだ。したがって藤原氏にはその“権利”があったし、また不比等にはそうしなければならない理由もあった。
 そういう“意思”のもとに編纂された『日本書紀』には、流血事件の事実は事実として記されているのだが、それにともなうはずの事後経過がほとんどない。とくに「不本意な死」「理不尽な死」を被って地位や政権を奪われた人物の「怨念」は、当事者ばかりでなく広く恐れられたはずである。それが疫病の流行や天変地異となってふりかかる──いわゆる「怨霊の祟り」を恐れたはずなのだ。
 しかしその記述がほんのわずかしか見当たらない。また「祟りをなした」とあっても、その具体的な内容がほとんど記されていない。これはきわめて不自然なもので、理不尽な死があれば、それと対になって必ず怨霊の祟りが様々に関連付けられているものなのだ。『日本書紀』以後の国史はすべてその考え方で貫かれている。編纂方針が共通しているにも関わらず、その点だけが異なるのはそこに恣意的な力が加えられたと見るべきだろう。

 しかも怨霊を鎮めるために、寺や神社に祀ることは、まさにこの頃から始まっている。
 それこそは、後々平安時代になってから「ごりょう御霊信仰」と呼ばれるようになるものの嚆矢なのである。
「歴史は勝者がつくるもの」とは真理であるが、『日本書紀』はまさに中臣=藤原氏という勝者がつくった歴史である。日本史上最大の氏族・藤原氏は、その前に最大の氏族であった蘇我氏を滅亡させてそれに取って代わったものなのだ。飛鳥には、その秘密が隠されている。大化改新で中大兄皇子と中臣鎌足がおこなった政策は、ほとんどがすでに蘇我入鹿によって構想され、実施されようとしていたものなのだ。                        

 本文に入る前に、飛鳥の血塗られた古代史を概観しておこう。

(中略)

 おおよそ七十年間に、文字通り「血で血を洗う」権力闘争がおこなわれた。殺した者が殺されて、その殺人者がさらにまた誰かに殺されるという「流血リレー」だ。
 どれか一つをとっても、近現代であれば大事件となるものばかりだろう。「歴史の闇」という言い方があるが、『日本書紀』の紙背に封じ込められた古代飛鳥のそんな「闇」を本書では解き放そうと試みている。
 そしてそれには、飛鳥の怨霊たちに登場していただかなければならない。
 千数百年の怨念が昇華されるには、その真相、真実の姿を解き明かすこと以外にないだろう。本書でその役割をどこまで果たせたか──飛鳥時代にタイム・トラヴェル時間旅行して、読者一人一人が歴史的事件の目撃者となるように書き記したつもりである。一読で、従来の歴史観は一変するものと確信している。

 なお、各章に『日本書紀』の訳文を掲載しているが、これは一般読者の多くが原典に親しむ機会は稀だろうとの考えから付すこととしたものだ。こんなふうに記されているのかと新鮮に受け止めてもらえるのではないかと思う。
 また、原典原文をご承知の読者には読み飛ばしていただいても支障はないが、私の独自の解釈を訳文にも反映させているので確認の意味で目を通していただければ幸いである。

著者拝

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