海底に謎の街並み
海の中に街並みがあるという。
場末の居酒屋で、そんな話を小耳にはさんだ。
隣の酔っぱらいが亭主に向かって喚いていたのだ。
ここは記者仲間ばかりが集まる店とは違って、ごく普通のカタギ衆がくつろいで呑む店だ。
「――ほんとだってばさ。海ん中に、街があんのよ、街が。オレ、見たの。はっきし。浦安沖で蛸釣っててね」
ダムに水没した村を船底のガラス窓から見物したという話なら珍しくない。
しかし場所が東京湾で、見えたのが街並みということになると、これはとてつもない話になる。
いつもなら酔っぱらいのヨタ話など聞き流すのだが、この話にはフックするものがあった。ブンヤのカンだ。
「――冗談だったらもっと気の効いたことを言うって!」
「あんた、しつこいねえ」
「ほんとなんだってばさあ」
私は、少なくともこれを信じた。
というのも、近頃東京湾ではヘドロの浚渫が猛烈な勢いでおこなわれている。
それにともなって、
「ようやく政府も環境問題に本腰」
といった新聞報道も日常的に出るようになった。
むろん私の仲間達がこの“好意的”報道の片棒を担いでいる。
しかし私自身は、当初からこの現象をストレートには受け止めていない。
なにか裏がある。きっと、ある。
そう簡単に日本国政府の体質が変わるはずはないのだ。
翌日、さっそく私は東京湾周辺の釣り船屋の聞き込みをおこなった。
客は一過性だが、各船長は毎日のことだ。
事実ならば、これ以上の証人はない。
そして噂は、やはりかなりの信憑性を持っていた。
無作為に三人のヒアリングをおこなっただけなのだが、答えは異口同音。
三件目のオヤジはこう言った。
「不気味だよね。でも何度も見てるよ。雨が降らなければいつでも見れるね、最近は」
二ヶ月程前までは妙に海が濁っていて海底はほとんど見えなかったらしく、さながら忽然と出現したような感じだという。
しかも、その界隈は特にヘドロ浚渫の船が多いらしい。
「見てみるかい。明日はなんでか出船禁止なんて漁協から通達があったけど、つもりがあるなら乗ったらいいよ」
もちろん私は二つ返事で承諾した。客は私一人である。
翌朝船で現場に向かう途次、すでに私の頭の中には記事の構想が出来上がっていた。
「東京湾に沈む幻の古代都市発見さる!」
朝刊の一面に踊るスクープの活字が眼に浮かぶ。
そう、私の結論はこれなのだ。
東京湾の底から古代の幻の年が出現したのではないかと、私は密かに推定している。だとしたら、これはとてつもないビッグ・ニュースだ。
海は、いつもその底に失われた謎を秘めている。
アトランティスもムーも、お馴染みの謎である。
「海底にアトランティスの古代都市を見た」という記事も、過去の新聞をめくるとときたま目にする。
もっともいまだに発見されてはいないようだが。
それならば、東京湾の底にも古代都市があっっていい。
三年前に魚網に古代の遺物がかかったことがある。
これまでの考古学が覆されるかもしれないくらい古いものだとはその時点で報道されたが、それ以上何も明らかにならないまま、いつのまにかニュースから消えてしまった。
ヘドロの浚渫が頻繁におこなわれるようになったのも、その後しばらく経ってからだ。
私はそれ以後個人的に調べてきたが、東京湾浚渫のための予算は膨大である。
これまでの慣例から考えると、異常と言ってもいい数字だ。
これらの事実を一連のものとして考えない手はないだろう。
「――だんな、そろそろ現場だよ。海ん中覗いてみたら」
私は思わず船縁に走り寄って水中眼鏡の親分のようなガラス箱で海中に目を凝らした。
「落ちるなよ!」
船長がどなる。
見える!
なるほど、確かに街並みらしきものが海底に延々と続いている。
しかも廃墟ではなく、どうも、屋根まであるようだ。
しかし――。
「ん~む、やけにやすっぽいなあ。これじゃまるで建て売りの一戸建てじゃないか。なんだか、変だぞ、これは」
海底に延々と続く建物は、いずれも二階建てで、しかもほとんどくっつき合っているというあのたたずまいそのままなのだ。
おまけに屋根は、なんと赤のスレート葺きに見える。
想像とぜんぜん違うではないか!
私は頭がこんがらがって、気分が悪くなった。
理解不能なものに対面した時特有の吐き気がする。
その時、一種異様な海鳴りがして、その瞬間海底が動いたような気がした。
水面がゆがんだのかと思った。
しかしガラス箱越しに見ているのだからそんなはずはない。
私はもう一度目を凝らしたが、今度は近づいているように見える。
いや、ずんずん近付いている。間違いない。
海底が上がってきているのだ、不可思議な街並みごと!
――と思う間もなく、強い衝撃が船全体を襲って、私たちの船は一気に空中へ持ち上げられた。
滝壺にでもいるかのような水音のすさまじい喧噪の中で、船長の叫び声がかすかに聞こえた。
船の下で“家”が一軒メリメリと潰れた。
そして私たちの周囲には、同じ形の建て売り住宅がいくつもいくつもずらりと並んだ。
私は事態を把握するのにまず自分の頭が正常であるかどうか検証しなければならなかった。――どこからかやってきた制服の集団に取り囲まれたのはその直後である。
翌日から、東京湾建て売り住宅の公募は、大々的に始まった。
了
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