噂のキオスク
その噂を私が聞いたのは、実は今回が初めてではない。すでに4度か5度は聞いていると思う。たぶん、これを読んでくれているあなたも、一度くらい聞いたことがあるかもしれない。
私が最初にその噂を聞いたのは一昨年の年末だったと記憶している。
湯島のシンスケという居酒屋でゼミの同窓会をやった時だ。その時にちょっとしたやりとりがあったので、わりとはっきり憶えているのだ。
「おい、キオスクでコンドーム売ってるって、おまえ知ってたか?」
ふとした拍子にそう言ったのは大神という悪友で、こいつとは大学入学以来のつきあいだが、もちろん私は冗談だと思った。
そいつは学生の頃からなにかといえばヨタを飛ばす癖があって、仲間うちでは名前をもじって「オオカミ青年」と呼ばれていた。これはもちろん「オオカミが来たぞ!」と嘘をつくあの話にちなんでのものである。もっとも今ではいい歳だから、「オオカミ青年」ならぬ「オオカミおやじ」がふさわしいかも知れないが。
いずれにせよ、仲間うちではそいつの癖を呑み込んでいるから扱いも慣れていて、誰もが適当に合わせている。ご他聞に漏れず、私なども会えば学生時代さながらに調子を合わせるようにしているので、ハタから見たらヘタな漫才ぐらいには見えるかも知れない。
「キオスクでコンドーム? 今頃なに言ってんだい。オレなんか十九の時からお世話になってるよ」
だからこの時も、こんな合いの手を入れて澄ましていた。
するとあいつは、いやに真顔で、
「いや、冗談なんかじゃなくてさ」などと、間の抜けた返事をする。
「おいおい、もうちょっと気の利いたセリフはないのかよ。オオカミ青年も年をとってヤキが回ったか?」
ところがそれからよくよく聞いてみると、そいつはいつものヨタ話ではないのだという。
「これだけはマジ」
大神のやつはそう前置きして説明してくれたのだ。
「キオスクでコンドームを売っている」──これは文字通り「小説よりも奇」な「事実」なのだそうである。
なるほど、確かにそう言われてみると、それくらいのものならキオスクに置いてあっても不思議はないように思える。
なにしろキオスクにはネクタイもあればワンカップ大関もあるしで、ようするに「手軽に入手できれば便利」と思われるものはたいてい置いてあるのだ。それに、「コンドームは特殊な商品だ」などと思うことこそおかしいのであって、その証拠に、西友あたりでもちゃんと一番目立つところに置いてある。それくらいなのだから、キオスクに置いてあって悪かろうはずがない。いや、置いてあって当然というべきかも知れない。しかし、実際に買うとなるとちょっと恥しいから、まあ利用するようなことにはならないだろうが。
──ところがそのことがあってからしばらくして、ふとしたことから私も“その”必要に迫られることになった。これは思いもかけぬことだが、実は前々から目を付けていたある女性と、幸運なことに秘密の時間が持てることになったのだ。しかし、その時間は様々な事情からきわめて限られている。それに、男と女の関わりというものはちょっとしたタイミングが大きな意味を持つもので、あまり悠長なことはしていられない。気が変わらないうちに、すばやく抜き差しならない状況にしてしまうに限るのだ。
そこで私は、さっそく通りがかりの御徒町駅のキオスクに顔を突っ込んで、連れの女性には聞こえないように囁いた。
「コンドームくださいコンドーム!」
と言ってみたところ、オバチャンは妙な顔で「ありませんよ」
「品切れ? コンドームだよコンドーム、あるでしょ?」
「イヤラシイ、鉄道公安官呼びますよ!」
しばしの沈黙。
「だ、だってコンドーム必要なんですよコンドームッ!」
私は思わず大きな声を出してしまった。
すると売店のオバチャンはもっと大きな声で、
「ちょっと、誰か来てえっ!」と叫んだのだ!
私はすっかりギョウテンしてしまって、跳び上がるなり全速力で逃げ出した。チキショウ、やっぱりあいつは嘘をついたのか。欺された。どうしてくれよう、あのバカヤロウ!
やっと口説き落としてデートまで漕ぎ着けた女性をその場に置き去りにして来たと気付いたのは、なんとそれから1時間も経ってからのことであった。残念だが、彼女はもう二度と私の誘いには乗らないことだろう。いや、それどころか、私はもう二度と彼女の前に顔を出せない。それくらいなら水洗便器に顔を突っ込んで溺れ死んだほうが、まだましだ。本当に、恥しい。
しかしそのすぐ後で、大神に電話をかけて恨みつらみを並べ立てたところ、
「それじゃダメだよ。特殊なものを買う時は品名のあとに“キオスク”を付けなきゃあ。たとえば“コンドーム・キオスク?”ってなぐあいにさ」
私は二の句が継げなかった。
「オレなんか、けっこう利用してるんだぜ。それと、あのあと仕入れた情報なんだが、大麻やマリファナ、おまけに拳銃まで買えるって話だ。いやあ、われらがJRのエキナカ商法も来るとこまで来たって感じだな」
それ以来、大神とは絶交した。
その後、まったく別の人物から同じ内容のヨタを聞く機会が3、4度あった。大神が発火点なのかどうかはわからないが、どうやら巷では、この“噂”がまことしやかに流布されているらしい。冗談としてはタチの悪いものだと思うのだが、それだけ世の中が平和だということになるのだろう。まあ、考えてみれば、ジョークをジョークとして楽しむぶんには格別罪もないわけで、ことさらに私が敏感になっているのは私自身の責任といえるのかも知れない。
しかしもちろん、私は二度と欺されない。欺されてたまるか!
だけどそれなら、昨日のことはどう解釈したらいいのだろう。昨日。……
仕事帰りにキオスクで、私は夕刊フジを買おうとした。すると私の前にいた無精髭のばかにやつれた男が、
「ライフルとダイナマイトきおすく?」
とオバチャンに向ってささやくではないか。私はハッとして、息を呑んだ。
しかしオバチャンは平然と、
「弾は?」
「二箱きおすく」
「はい、四十七万五千円」
そんなものがいったいどこにしまってあるのかと思う間もなく、オバチャンはササッと手早く取り出して、オツリのやりとりも手馴れたものである。通常通り事務的で、なんの遅滞もない。
私はその一瞬のやりとりを見て呆然としていた。
あの話は、本当だったのか。嘘でもなんでもなく、現実のことなのか。
とても信じられないが、でも確かに、今、目の前で起こったことだ。しかも今の男は、法律で取り締られているはずのライフルとダイナマイトを、いとも簡単に入手してしまった。どう考えてもこれは非合法のはずだが。コンドームなどとはわけが違うし。「コンドームで、自分も試してみようかな」と、性懲りもなく考えながら、ある不安が頭の隅をよぎった。
近いうち、ライフルとダイナマイトを使った事件が、まさか起こらないとは思うのだが。……
了
*注 ここに登場する個人・団体等はすべてフィクションです。とくにキオスクは鉄道弘済会とJR各社が経営するキヨスクとはなんら関係ありません。言うまでもないでしょうが世の中には変な人がいるので念のため。
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