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2008年3月23日 (日)

28夜 ショート・ショート むかしばなし「東大の夢」

むかしばなし「東大の夢」

 むかしむかし、あるところに東大出のおじいさんがいました。 おじいさんは「命令する」のが大好きで、「命令される」のは大嫌いだったそうです。
 だから、家にいるときは、おばあさんやお手伝いさんや息子や娘、その嫁や婿、孫たちにまでいつも何ごとか「命令」を下していました。
 ときには、その家を訪れるお客さんやセールスマンにも「命令」していました。「上がれ!」「黙れ!」「帰れ!」「もう来るな!」
 ──とこんなぐあいです。
 おじいさんの家族は、「いつものことだから」といって慣れたものでしたが、初めて訪ねて来る人などは、やはりずいぶん驚いたようです。

「なんて横柄な人だろう」と呟く人はまだいいほうです。
 なかには、いきなり怒り出す人もいました。
 でも、そんなときには、おじいさんはもっと怒ります。

「わしを誰だと思っとるのか! わしは“東大出”だぞ! エリートだぞ! 偉いんだぞ! 貴様らとは違うんだぞ!」 ──確かに、みんなとは違うようです。

 それはともかく、おじいさんの「命令癖」は、東大出身であることと深いつながりがありました。 というのは、そのむかし、「東大さえ出ればエリート」という時代があったのです。
 おじいさんはちょうどその古き良き時代に“青春”していたのです。

 たまーに御機嫌のいいとき、おじいさんは初孫を膝に抱いて昔話をすることがあります。
 そんなときには、誰も聞いていないのにとても楽しそうでした。

「むかしは良かったなあ。わしが東大出というだけで道を歩いていればみんなが土下座をしたもんだし、信号が赤になっていても警官が通してくれたもんだ。飲み食いはすべてタダだし、欲しい物があれば店の棚から勝手に持ってくれば良かった。欲情したら手当たり次第手ごめにしたもんだし、腹が立ったら手近な人間を殺せばよかった。ほんとに良き時代だったなあ……」
 
 そんなことを問わず語りにしゃべりながら、おじいさんはいつしかウツラウツラと居眠りをして、ヨダレを垂らしているのです。 おじいさんは東大の法学部を出て大蔵省に入り、民間企業へ天下りしました。
 だからお金に困るようなことはありません。
 おじいさんの同期生で大蔵官僚から政治家になった人も何人かいましたが、「お金が欲しいか権力が欲しいか」という二者択一で「権力」を選んだ人たちです。
 おじいさんは「金さえあればできないことなど何もない」と常々言っていたくらいで、「お金」を選んだのだそうです。「あいつらもせっかく東大を出たのに哀れなもんだ。選挙になるたびに、わしのところへ金をせびりにやってくる。国会議員だなんていったって、しょせん金の前には頭が上がらん。本当の権力者とはわしのことを言うんだよ」
 おじいさんは、会うひとごとにこんなことを言っていました。 
 ところがそれから月日も流れて、おじいさんの同期生の1人が国務大臣として入閣しました。
 そして次の組閣では、べつの1人が今度は法務大臣に任命されたのです。
 この時は、さすがのおじいさんも、少しばかり動揺したようです。
 厚生大臣や文部大臣なら、べつにおじいさんも何とも思わなかったことでしょう。
 でも法務大臣となると、これは本当の“権力者”です。
 おじいさんの“権力ごっこ”などとはわけが違います。「わしは道を誤ったのかも知れん」
 おじいさんが初めて弱気なことを言ったのはこのときです。 そしてその2年後、今度は決定的なショックがありました。
 同期生5人が、総理大臣と防衛庁長官と国家公安委員長と法務大臣と外務大臣に同時になったのです。
 この5人が一致協力すれば、もう恐いものなしというものです。
あまりのショックに、おじいさんはちょっとボケてしまったようだと言われるようになりました。
「命令」も「怒り」も「横暴」も、それ以来すっかり影をひそめてしまったのです。
 そんなある日、おじいさんがぼんやりとテレビを見ていたら、

「臨時ニュースをお知らせします。本日正午をもって、日本国政府は中国政府に対し宣戦を布告。これにより全面戦争に突入の──」
 これを聞いたおじいさんは、「ああ、これがやりたかった」とさ。

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27夜 ブック・レビュー 『ツクヨミ─秘された神』 河出書房新社

ツクヨミ-秘された神

謎の神─ツクヨミ〈月読命〉とは何者か?

アマテラス、スサノヲと並ぶ三貴子の一、ツクヨミ。(月讀・月夜見・ツキヨミ)
しかし記紀の記述は極端に少ない。
その古代史上の謎の神の秘密に、
三種の神器、天武天皇、桓武天皇、陰陽道といった観点から、はじめて迫る。

第1章 三貴子の謎──ツクヨミ誕生 (謎の神;これまでの「ツクヨミ研究」について ほか)
第2章 三種の神器の謎──ツクヨミの御霊代・勾玉 (三種の神器の由来;三種の神器と良渚文化 ほか)
第3章 天武天皇の謎──ツクヨミの正体 (偉大な功績;天文遁甲が得意 ほか)
第4章 陰陽道の謎──ツクヨミ族の学術 (月を読む技能;東漢氏によってもたらされた資料 ほか)
第5章 桓武天皇の謎──ツクヨミの怨霊 (桓武の恨み;天武系への冷遇 ほか)

ツクヨミ-秘された神

著者:戸矢 学

ツクヨミ-秘された神

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26夜 ブック・レビュー 『魯山人陶説』

魯山人陶説 (中公文庫)

見識をもって矜持をつらぬく魯山人,

備前も萩も唐津も織部も九谷も、種類にこだわりなく作り上げる力は、単なる陶芸家には決して見られないものだ。

最初の人間国宝に推挙されながら、それを拒否したのも、「陶芸職人」ではないぞという強い矜持が感じられる。

柳宗悦たちの民芸運動に対して、超然として「下手物(げてもの)」と断定したのも見識だ。

──「陶芸」だけでもこれだけの“巨人”であるのに、書も料理も文筆も、というのだから、もはや“偉人”というべきか。

魯山人陶説 (中公文庫)

著者:北大路 魯山人

魯山人陶説 (中公文庫)

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2008年3月19日 (水)

25夜 ショート・ショート 「父の万年筆」

父の万年筆

 ぼくは、父を知らない。
 二歳の時に事故で亡くして、それからは母と二人だけの生活だ。
 小学校も中学校も父兄面談は母だけだった。
 大学を卒業して、就職先の新聞社に初出社する日の前の晩、母がぼくを座らせて急に改まった。
 そして、父の形見の万年筆だと言って仏壇の引き出しから取り出したのは、古風な吸入式のモンブランであった。
 当時でも万年筆は少数派になっていたはずだが、父は地方紙の記者であったので、こだわりのようなものがあったのかもしれない。
 ぼくが新聞記者になったのは、父の影響がなかったと言えば嘘になるだろう。
 しかし決定的に違うのは、ぼくの世代はほとんどペンを使わないということだ。
 パソコンもPDAも携帯もすべてキー入力で、ペンを持って手書きをするのはクレジットカードのサインくらいのものだろう。
 それがまして万年筆となると、たぶん触ったこともない者がかなりの比率に上るのではないだろうか。
 母はその万年筆をぼくに渡す前に、一瞬だが愛おしそうに指先で撫でるそぶりをした。
「お父さんが、これで原稿を書いていたのを、今でもはっきり憶えてる──」
 ずいぶん太いなあ、とぼくはどうでもいいことを考えていた。
「インクは入れておいたわ。使ってみて」
 母に言われるままに、ぼくは傍らの便せんにペン先を下ろしてみる。
と、どうしたことだろう! 万年筆が、勝手に動く。ペン先から、文字が生まれる!
「──どうしたの?」
「ペンが、勝手に動くんだ!」
 ペン先がつづった文字は、
「立派になったな。これで、安心だ。」
 記憶にある、父の文字だ!
 ぼくの目から、思わず涙がぽとりと落ちて、インクの文字が泳ぐように滲んだ。
 ワープロやボールペンでは伝わらないものがあるのだと、その瞬間、ぼくは思った。

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2008年3月16日 (日)

24夜 ブック・レビュー 『納豆大全!』

賞賛すべき「奇書」

すぐれた「日本文化論」だ。
──納豆は主役になったこともなく、今後もないだろうが、その底力はすごい!
著者のオタク度の深さに敬服。
よくぞ永年月にわたって、ここまで入れ込んで来たものと感動する。
賞賛の意をこめて「奇書」と呼ばせていただこう。

納豆大全!

著者:町田 忍

納豆大全!

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2008年3月14日 (金)

23夜 ブック・レビュー 『陰陽道とは何か』 PHP新書

陰陽道とは何か―日本史を呪縛する神秘の原理 (PHP新書)

おすすめポイント:
平安時代の陰陽師・安倍晴明にまつわる伝説は尽きない。しかし、その大本である陰陽道について、現代人はどれほど知っているだろうか。
中国伝来の道教(陰陽五行説)と日本固有の古神道が融合して、さらに密教や修験道もとり入れて日本独自の生成発展を遂げた陰陽道。千五百年にわたり、わが国の政治、宗教、文化に多大な影響をもたらしてきた。
たとえば、十二支、十干(甲乙丙など)、鬼門、占い、御霊信仰をはじめ、天皇家のさまざまな行事の由来が、じつは陰陽道に基づいていることが多い。その技術や知識は、天文学、地理地勢学、暦学、栄養学など幅広い。また、近年の風水や占いブームとも密接に関わっている。なぜ、天災を予言できるというのか? 果たしてその実相は、科学か、オカルトか?
本書では、まず、陰陽師の役割について解説し、聖典、聖地聖跡、祭儀、呪術、鑑定実践などの基本知識を解説する。陰陽道の原理をひもとく、はじめての入門書である。

陰陽道とは何か―日本史を呪縛する神秘の原理 (PHP新書)

著者:戸矢 学

陰陽道とは何か―日本史を呪縛する神秘の原理 (PHP新書)

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2008年3月 8日 (土)

「禁じ手」を選んでしまった図書館の罪

 最近の図書館はベストセラー本を10冊20冊とまとめ買いして、利用者への貸し出しに提供する。
 この前、試しに、ある評判のベストセラー小説を検索してみたら、「予約待ち」が、なんと287人いた!
 20冊も仕入れているのに、すごいものだ。
 読みたくても「買わない」人たちが、こんなにいるのだ。

「図書館は、出版社と作家の敵だ!」と、ついこのあいだ林真理子さんが週刊文春のコラムに書いておられたが、残念なことに、まさにそんな状態になってしまった。
 出版業界では、新刊書籍について、図書館が10冊購入すると、書店での売り上げが100冊消滅するとはよく言われることであるが、一般の人にはまったく知られていないだろう。

「本が売れない!」「出版不況!」と嘆かれて久しい。
「このままでは、日本の出版文化は滅びてしまう!」と、言われ続けてもうずいぶん経っている。

 しかし、その元凶の一つが“図書館”だと言ったら、聞き捨てならない暴言だろうか。

「作家・出版社・書店・読者」という、いわゆる“出版流通”を妨害しているのは、図書館だ。
「書店」のところは「ネット書店」でも同様。
 要は、せっかく「読みたい人」がいて「売りたい人」がいるのに、図書館が「買わなくても読めますよ」と、余計なお世話をしているのだ。
 しかも、「公費」で。
 これでは、「公共・行政が、日本の出版文化を破壊しようとしている」ようではないか!

 図書館は、自分たちの役割を勘違いしている。

 利用者を増やそうとして、「禁じ手」を選んでしまったのだ。
 しかし図書館の役割は、目先の利用者を増やすことではないはずだ。
 図書館は、手に入りにくい貴重な書籍や、個人で購入するには不適当な全集・百科全書・レファレンスなどを確実に収集し、ストックし、利用しやすい管理を心掛けるべきだろう。
 一般書の新刊本は、断じて仕入れるべきではない。
 まして、ベストセラーを10冊20冊と、まとめて競って仕入れるなど論外である。
 少なくとも、書店の店頭から平積みがなくなるまで待つべきである。
 どんなベストセラーも、ひとときの“嵐”が過ぎ去れば、店頭から消え去る運命にある。
 その時こそは、図書館がベストセラー本を仕入れるべきタイミングだ。
 店頭で買えなくなったベストセラー、──これは、まさに図書館のアイテムだ。
「文化のストック」にこそ、図書館本来の社会的使命があるのだと、自ら認識すべきである。
「無料の貸本屋」ではないのだ。

とやかくコラム「禁じ手」を選んでしまった図書館の罪 

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2008年3月 3日 (月)

21夜 ブック・レビュー 「完訳フロイス日本史〈1〉将軍義輝の最期および自由都市堺―織田信長篇(1)」 (中公文庫)

完訳フロイス日本史〈1〉将軍義輝の最期および自由都市堺―織田信長篇(1) (中公文庫)

総タイトルが問題だが、きわめて貴重な資料。
たいへんな労作で、同時代の資料として貴重であるのは間違いない。
ただ、これに『日本史』というタイトルが付いているのは誤解を生む。
いかなる歴史書も、書き手の主観や独断を排除することはできないが、
それでもここまであからさまな主観や独断(異教徒から見れば偏見になる)で徹底されているならば、「日本史」という看板は下ろすべきだろう。
実態は、一人の宣教師の滞日数十年間を綴った「手記」「日記」であって、
たとえば同時代の日本人のものでは山科言継『言継卿記』や、吉田兼見『兼見卿記』、勧修寺晴豊『晴豊公記』などと同列の「同時代の証言」としての価値はある。
フロイスの上司にあたるバリニャーノからは「冗長すぎる」として公的記録としては評価されなかったようだが、
個人の「日記」としてとらえれば、むしろそこにはそれなりのおもしろさがある。
一宣教師にすぎないフロイスが、気負いに気負って、信長を始めとする名だたる武将や堂上公卿と交流し、彼らを評するくだりなどは、他の資料では見えない面が浮かび上がってなんとも興味深い。
好意も悪意も、ここでは隠す必要がないから実にあからさまで、だからかえって事実関係に嘘はないと逆に判断できる。
本書の値打ちは、この「偏見」にこそあるだろう。
というわけで、本書は「歴史書」ではなく、「偏見に満ちた個人の日記」として読むべきでしょう。

完訳フロイス日本史〈1〉将軍義輝の最期および自由都市堺―織田信長篇(1) (中公文庫)

著者:ルイス フロイス

完訳フロイス日本史〈1〉将軍義輝の最期および自由都市堺―織田信長篇(1) (中公文庫)

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