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2008年2月25日 (月)

20夜 ショート・ショート「花は盛りに」

花は盛りに

あるホテルのラウンジでふたりの男が会っていた。そこはガラス張りの明るいフロアーの片隅で、彼らのほかには商社マンらしい3人連れがいるだけだ。

ガラスの向こうの中庭にはほぼ満開の桜が見える。その下を若い娘たちが三々五々さんざめきながら歩いている。といっても、むろん声は聞こえない。

「今が見頃だな」

ひとりの男が言った。

「うむ、まさに“盛り”だね」

もうひとりの男もうなづいた。

「“花は盛りに”というが、やはり永遠の真理だね」

「同感だ」

「そういえばキミにも娘さんがいたんだっけ、サチコちゃんっていったかな、もう中学生くらいになったかい?」

「この春で高2だよ」

「へ~え、もうそんなになるのか」

「早いもんだよ」

「いよいよ“女”の仲間入りだな」

「とんでもない! まだまだ子どもさ」

「さあ、それはどうかな、そう思ってるのは親ばかりじゃないのかな、お互い身に覚えのあることでもあるしね」

「いやなことを言うなよ」

「真理を言っているだけだ」

「──きょうは何の用かな、まさかそんなことを言うために呼び出したわけじゃないんだろ?」

「うん、そうそう、実は今度結婚することになってね、その報告さ」

「へ~え、こいつは驚いた。てっきりキミは独身主義だとばかり思っていたが、老後が不安にでもなったかい?」

「べつに。だいいち、ボクは“主義”で結婚しなかったわけじゃないしね」

「例の論法か」

「そういうこと。“女”と言えるのは16歳から24歳位まででね。それ以前は子どもだし、25を過ぎたら人間になってしまう。“花は盛りに”と言うじゃないか」

「キミは変態だよ。50歳近くにもなって小娘にしか興味がないなんて。年齢相応ということがあるだろう」

「ふん。──それならキミに尋ねるが、あの中庭を歩いている若い娘たちを見て性的欲望を感じないのか。彼女たちよりも四十女により強い欲求を感じるというのか。もしそうだというなら、キミのほうこそ変態じゃないのかい? 男が性的に健康であるということは、若い娘に目を向けることだろう」

「キミは、セックスしか頭にないのか。もっと他に求めるものがあるだろう。世間の人たちが結婚するのは“人生の伴侶”を得るということで……」

「ほ~う。それならもう一度聞くが、キミは自分の女房や世間の四十女たちから、どれほど有意義なことを教わったのかね」

「──キミには、話したってわからんさ。キミは反社会的人間だからな」

「まあいいだろう。──ところで、ボクの婚約者を紹介しよう。ほら、あそこの──」

そう言って指差す方を見ると、中庭の桜の木の下にひとりの娘が立っている。

「正真正銘の“女”だよ。まだ高2だけど、もう完全な“女”さ」

それを聞いたもうひとりの男は、みるみる驚愕の表情に変わって行く。そして──、

「サチコッ!」

「えっ! そういえば名前が同じだと思ったら、キミの娘だったのか。子どもの頃しか会ってないんでわからなかったなあ。奇遇だね」

そう言って男はニヤリと笑った。

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2008年2月19日 (火)

19夜ブック・レビュー『食味風々録』 (新潮文庫)

食味風々録 (新潮文庫)

感想:
阿川佐和子さんの父上と紹介されるのがおもしろくないと、最近のインタビューで言っておられましたが、
そういう表現が巧まざるユーモアになっているのが氏の強みかもしれません。
本書の刊行直後に文化勲章を受けられて、本書で初めて氏の文章に接したひとは驚いたと思います。
書名からは想像もつかない軽妙さは、実はもう一つの本質なのですね。

いわゆる「大家」の書く食物談義のたぐいは、だいたいが「美食」になるか、
さもなければ開き直った「B級C級グルメ」なのですが、
本書はどこまでも「自然体」で、頭が健康になる感じです。

文学のヌーベル・バーグといわれた「第三の新人」も次々に世を去って、
ずいぶん世の中は変わりましたが、
あの時の魅力の本質の一端が、今になってようやくわかったような気がします。
小説でもなく、「阿房列車」でもなく、本書こそは氏の代表作と、勝手に思っています。

食味風々録 (新潮文庫)

著者:阿川 弘之

食味風々録 (新潮文庫)

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2008年2月13日 (水)

ショート・ショート18夜「花のお江戸の“東京タワー”」

花のお江戸の「東京タワー」


「あんなものなぁ、オノボリサン連中にまかしときゃいいんだ」ってなことを、あたしは常々言ってるんだ。
 こう見えたって、5代続いたチャキチャキの江戸っ子なんだよ、あたしは。本当の江戸っ子ってものを体が知ってるんだ。深川・本所界隈もずいぶん変わっちまっちゃいるけど、そいでもまだまだ“情緒”ってものが残ってらあね。
 それにくらべてどうだい、この「東京タワー」ってシロモノは。無粋を絵に描いたようじゃないの。花のお江戸の真ん真ん中に、馬鹿ァみてぇにヌッと突っ立ちやがあって。
 だいたい名前からして情緒がないやね。どうせつけるんだったら「芝公園電波塔」かなんか、いくらでもありそうじゃないか。それを名付けるにこと欠いて「東京タワー」たぁあんまりだ。
 もっとも、これぐらい色気のない格好してるんだから、かえってふさわしいか。ハイカラ好きのオノボリサンにゃあちょうどいいのかも知んないね。
 じいさんから聞いた話じゃあ、むかし浅草に「凌雲閣」てえ12階建ての塔があったってえが、名前からして違わあね。いかにもこう大和心をあらわすようで。
 意味? そらあ、その、あれだ。リョウのウンてえくらいだから、--なに、雲を凌ぐほど高いって意味だって? あたしが言おうとしてるのに先に言っちゃいけないねぇ。日本人は礼節を重んじる民族だ。近頃はそういうことのわからない人間が増えちまって、実になげかわしい。
 --なに? 凌雲も礼節も漢語だって? 支那にも偉い人はいるっ! いいところは謙虚に学ばなければいけない。うちの親父がいつも言ってた。
 しかしねえ、こう我も我もと高い所へ上りたがるってぇのは、どんな、もんかね。高い所へ上がると馬鹿ンなるって、近頃は教えないのかね、学校じゃ。あたしなんざ御幼少のミギリから、そればっかし気い付けてるもンだから、めったなことじゃあ他人から馬鹿にされない。
 こないだなんて、朋輩連中があたしのためにって一席もうけてくれたけど、こいつが桜と紅葉の鍋なんだ。つまりは馬と鹿の肉。どっちもウマイ肉ではあるけれど、一緒に煮るなぁ禁物だ。“馬鹿鍋”になっちまう。
 それなのに、あたしが気付くまで誰一人気付かないんだからなさけない。これも常々、“馬鹿”に油断していなければこそなんだと、皆にコンコンと説いて聞かせたんだ。感動のあまり、顔をおおってオエツをこらえている者さえいたくらいでね。
 それはそうと、あたしがこんな所にいるのは、増上寺へお参りしたついてなんだ。べつに来たくって来たわけじゃぁない。だいたいねぇ、ここは江戸の真ん中じゃぁないの。増上寺は徳川様の菩提寺てえくらいだ。なのに田舎者ばかりに占領させておく手はないぞっ! べつに叫ぶこたぁないか。
 しかしまあ、なんてえ込みようなんだ。ん? 春休みだから、子供に連れていけってせがまれた? それにしちゃ嬉しそうじゃないの、おたく。なに? あたしのほうがもっと嬉しそうだ? 馬鹿言っちゃいけない。馬鹿はあたしだ。いや違う。なんであたしが嬉しがらなきゃなんないの。
 それにしても、この行列、なんとかなんないのかね。エレベータに乗るための順番待ちだってえが、ちっとやそっとじゃ回って来ないよ。このぶんじゃ。そいでもって何があるかってえと、真っ直150メーター上がって他人ん家の屋根ぇ見るだけのことなんだ。何がおもしろいんだか、あたしなんかにゃ想像もつかないね。ましてこの近辺には風呂屋もなさそうだし。ま、べつに、風呂屋があったからどうとかってことは、まあ、その、あの、ゴホン、ゲヘン。のどが、なんかこう、ねえ。
 あれっ、「階段でも上がれます」なんて言ってるねぇ。オノボリサンと一緒にエレベーターなんぞに乗る気にゃなれないか、階段があるんだったらひとつ上がってみようじゃないの。
 近頃は猫もシャクシも歩くのが苦手ンなっちまってるが、人間てえものはやっぱし足を使わなきゃあいけません。こう、しっかりと一歩一歩踏みしめて、1段ずつ着実に上がっていく。自分の足でちゃんと歩けば、「生きているんだな」てぇ実感が湧いて来る。
 なんとも楽しいじゃないの、ねえ、あんた。
 なんだい、愛想のないやつだね。ふう、はあ。
 あれあれ、どんどん先に行っちまいやがった。これだから嫌なんだ、田舎者は。
 はあ、ふう。足腰ばっかしやたら丈夫で、風情ってものがない。
 ふう、ふう、ふふう。どうやら、ようやく、着いたらしいね。
 なになに、まだ半分だって。──いやはや“生きている実感”はもうたくさんだ。

(了)

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2008年2月 5日 (火)

ショート・ショート17夜「植物の時代」

植物の時代

「好きよ……」
「オレも、さ……」
たそがれ迫る頃から、新宿の中央公園は、愛をささやき合う男女がどこからともなく集まって来る。暦の上では春になっているとはいいながら、夜ともなればまだまだ外気は冷えている。しかし、“若さ”は、どうやらそれを上回ってあまりあるようだ。
芝生の上に横たわって、恋人たちはくちづけをそっと交わす。──と、そのとき、
「ヤ・メ・ロ……」
という声が聞こえた。それは、最初はつぶやくように、しかし、しだいにウナリ声のように韻々と響き渡った。
「ヤ~メ~ロ~、やめろ、ヤメロ、やめろヤメロぉ~っ!」
公園内のそこかしこで起き上がったアベックたちがキョロキョロした。それをノゾキ見ていた連中も、やっぱり周囲を見回してとまどった。
「なんだナンダ、どうしたんだ」「警察か?」「ウルセエぞぉっ」「ジャマすんなッ」「いや、人間の声じゃなさそうだぞ」「ヤダ~!」「なんの声?」「幽霊か?」「ウソ~ッ!」「ちがうな」「なんなのよぅ」
などと騒いでいると、またしても、
「ヤ・メ・ロッ!」
という声が、どうやら地面から響いて来る。
今度は誰もかれもがそれに気が付いて、皆いっせいに、
「わッ」
と叫んで跳び上がった。
「地面だ!」「下から聞こえるぞ!」「なんなんだよ、これは!」
するとさらに陰々とした声で、公園全域からわき上がるように、
「ヤ~メ~ロ~オ~ォ~ゥ」
 しかも、その言葉に合わせて地面が震動するのだ。
これで、公園内はハチの巣をつついたように騒然となった。
ある者は地面を踏んでいるのが耐えられないとばかりにピョンピョン飛び跳ねて、また別の者はツマ先立ってソーっと歩き始める。
いずれも、脱いだズボンを片手に持ったり、膝までずり下ろしたままだったりで、まことに珍妙な格好である。相手の女性があられもない姿で地面から離れようとしてのけぞっているのに、それもほったらかしというありさまだ。
地面から声がするということだけは誰にでもわかったが、それがいったい何を意味するのかは誰にもわからなかった。とにかく、ありうべからざることが起きたので、恐怖心だけが公園内を支配していた。
すると、またもや地面から、
「もうたくさんだよ……いつもいつも踏みつけにして……やめた、やめた、……おとなしくしてたって、なんにもいいことないんだから……」
なんと、声の主は“公園の芝生”であった。
そして、それに唱和するように、園内の植物--柳や椿や桜やヒイラギや、ソテツやトリカブトやツクシ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザなどまでが、
「やーめた」
と言ってガサゴソ動き始めたのである。
──植物の反逆は、それがスタートであった。その夜、都内のいくつかの公園では多くの植物が動き出して、かなりの数のアベックとノゾキが行方不明になった。
そして、あくる日は、街路樹と戦うサラリーマン、盆栽に立ち向かう老人といった光景があちこちで見かけられた。
しかしそれはまだ序の口であった。本当の危機は、それまで静観していた「小石川植物園」が、いっせいに動き出したと知らされてからである。
さて、今度は人間がエサになる番、か。

〈了〉

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